泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 相変わらず会議をやりたくなく、毎月の会議を学期に一度にしたいとごね続ける学童指導員に、いったいどういう理屈で会議の回数を減らせるというのか、と問い続けるが、こちらの質問には全く答えようとせず、反省する気もゼロという、どうしようもなさ。自分たちにあくまで落ち度はなく、すべて悪いのは加配の方なのだそうな。ダメな大人の厚顔無恥っぷりに辟易とする。自分ひとりに相手は3人。会議をやりたくない、ということを主張するのに、ひとりでは勝てないと思うのか、3人。くだらない。
 一番子どもとの関わり方がダメなおばちゃんが、一番自信たっぷりにつっかかってくる。たぶんこの人は自分が優秀だと思っている。プライドを傷つけられると感情的になってますます理屈が通じなくなるし、かといってこちらが下手に出ていくと調子に乗ってここぞとばかりに攻めてくる。本当に救い難い。
 この人たちを雇っている自治体担当課では、このダメっぷりがまだまだわかっていないようで、なんで学童でこんなに揉めているのかが理解してもらえない。嘱託職員まかせで、正規職員は現場の様子を実際に見ることのない公設公営の学童。せめて組織の形を再考してもらえたら、もうちょっとましになるはずと思うのだが、変える様子もない。あくまで嘱託職員に現場の指導方針はおまかせ。「嘱託に序列はつけられない」ので、役職の上下もなく、それぞれの子育て観をそれぞれの指導員が暗黙のうちに主張しあい、一本化されることすらない。そんな中で、障害をもつ子どもが丁寧に受け入れられるはずもないのに、なぜだか子どもは何の問題もなく過ごせていると思っているのだから、雇っている自治体も雇われている指導員もどうかしている。
 イライラして眠れそうもないのだが、今週末にはまた別の学童で会議。こちらはその嘱託の指導員間の軋轢がひどく、うち1名は会議の最中も明確に「なんでこんな会議やんなきゃならないんだ」という雰囲気を全身で表現してくるのだ。今週は気持ちが休まりそうにない。