泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 このあたりの法人・事業所のトップ5人が集まって、議論。
 内容は詰まるところ金の話なのだが、みんな金の問題には還元したくないようで、どんどん話は膨らみ、収拾がつかなくなる。少し疲れる。今後、すべてのニーズを自分たちだけで何とかできるということはおそらくないだろうし、社会資源が新たに創出されていくことにも配慮した制度設計をしていかなければいけないはずなのだけれど、悲しいかな、みんなそれぞれの法人が大きくなる形でしかイメージしていない。
 自分だって、そうだ。自分の法人の職員が育って、自立して、ということは考える。が、まだ自分が出会ったこともない地域住民の誰かが、新しく事業所を立ち上げてくれるようなことはなかなか想像できない。社会的起業家でもソーシャルアントレプレナーでも、名前はなんでもよいのだけれど、ひとりの「支援者」が「支援しよう」から「立ち上げよう」に至るまでには高い壁がある。この壁を超えるためのインセンティブって、何なのだろう。「思い」だとか「志」だとか、すぐにはそんなものしか浮かばないが、たぶんそれだけでは無理だ。気持ちのある人なら、たくさんいる。これまでだって、自分なんかよりずっと強い信念をもって支援にあたっているのではないかと思える人にはたくさん会った。でも、立ち上げるところまでは、なかなかいかない。
 誰かに法人のこれまでについて話をすると「なんで立ち上げに踏み切れたのか」ということを、必ず聞かれる。思い返せば、たくさんの条件に支えられてできたことだと思う。いくつかの条件が欠ければ、きっと無理だった。自分の生育暦から、大学院時代に偶然出会った人たちのことまで、全て関係しているようにさえ思えてくる。たぶん社会的なことの因果性って、そんなものなのだろう。結果から遡って、はじめて理由があれこれ言える。
 しかし、これではほとんど「偶然のめぐりあわせだ」と言っているに等しい。「これから立ち上げる者を増やすには?」という問いに対して、何も言ったことにならない。このままでは、社会資源は既存のものの「枝分かれ」でしか増えない。新たな「芽」が出てくるような制度設計をしなければならない。補助や助成だとか、起業塾とか、いろいろな取り組みはあるだろうし、きっとNPO研究業界などでは、そんなことを追求した研究もあるのだろう。でも、一般的に起業が増えればいいとかいう話ではなく、この地域でこの業界で増やさなければという話である。
 結局、自分で花を咲かせて、種を落とすしかないのだろうか。この国に、まだまだ事業所がほとんどない地域はたくさんある。そんな地域のことまで考えると、もっと他のやり方が必要な気がしてならない。