泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ああ心がもやもやする。

 養護学校が地域に開けてくるのはとてもよいことだと思うのだが、持っている専門性の種類ゆえに地域の中での問いの立て方に食い違いが生じているような気がする。2年ぐらい前に養護学校評議員会で、学校がケアマネジメントでも志向しているかのように見える方向性に自分は「学校中心で福祉的な支援もマネジメントしていくのか」と聞き、学校から「そんなつもりはない」とお返事をもらっていたのだが、残念ながらその予想が的中した。気がつけば学校教員が福祉資源の内容やその利用についてもあれこれと意見を口にするようになった。学校と地域は環境が全く異なるし、子どもの家庭の中や福祉サービスの内実など学校からは断片的にしか見えていないのに、何か子どもの生活の中心に自分たちがいると勘違いをしている教員が増えている。発達や療育についての専門性は高く評価するが、それ以外であれこれ言われたくない。いまだに「レスパイトサービス」とか言う人にあれこれ言われたくない。「他の地域の福祉サービスは・・・」なんて、自分のほうがあんたの何倍もよくわかっている。学校で子どもが不安定になったからと言って、福祉サービスのせいではないかと疑ってかかるのもやめてくれ。保護者と話していたら、それは全く関係ないと証拠まで出して完全否定だ。
 養護学校教員に期待することがあるとすれば、地域の環境条件の中でどれだけ子どもにとって望ましい支援を提供できるか、という点での助言である。自分たちの思うように環境を整えられないからと言って、その環境を全否定して代替物を用意しろとか環境を抜本的に変えろと言ったって、そんなことはできない。ちっとも建設的でない。そんな助言なら、あえてもらう必要もなく、自分たちの頭でも十分にわかっている。うんざりだ。ああ、腹が立つ。先々の関係もあるからと、ケンカにならないように腰を低くして、言いたいこともずいぶん飲み込んでいるのに、こっちはサンドバッグのように打ち込まれるばかり。そして、落ち込むばかり。学校教員は担任数名で入れ替わり立ち代わり言いたいこと言って、学童指導員もふたりで顔を見合わせてこちらの言うことにいちいち首をかしげながら言いたいこと言って、自分だけぐっとこらえて頭下げて、ひとりで悩んで、やってられない。