泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[障害者支援]メモ

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マル激トーク・オン・ディマンド 第296回 [2006年12月1日収録]
タイトル:「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの
ゲスト:山本譲司氏(福祉活動家・元衆議院議員) 
 秘書給与の詐取で実刑判決を受けた元衆議院議員山本譲司氏は、知的障害を持つ服役囚の介護が服役中の仕事だった。国会議員から一気に受刑者へと転落した時点で、ある程度の覚悟はできていたとは言え、そこには「服役囚の4人に1人が知的障害者」という驚くべき現実が山本氏を待っていた。
 約1年半の刑期を終え出所してきた山本氏は、福祉の仕事に携わりながら、知的障害者の犯罪の実態を調べ始めた。そしてそれを一冊の本にまとめたものが、近著「累犯障害者」だった。その中で山本氏は、実社会では生きるすべを持たない知的障害者たちが、繰り返し犯罪を犯しては刑務所に戻ってくる様を克明に描いている。犯罪といってもほとんどが「しょんべん刑」と呼ばれる万引き、無銭飲食、自転車の盗難などだ。そしてそうした犯罪を犯して繰り返し刑務所に戻ってくる障害者たちの多くが、刑務所を事実上「終の棲家」としてしまっているのが実態だという。
 おおよそどこの国にも人口の2〜3%程度は知的障害者が存在するとされる。日本の場合その数は300万人程度と推察されるが、その中で障害者に認定された際に渡される療育手帳を取得し公的福祉サービスを受けている人の数は46万人に過ぎない。残る障害者の多くが、福祉の網から漏れたまま、刑務所と社会の間を行き来する生活を送っているということになる。
 現実的には、知的障害者の多くにとって公的福祉サービスは存在しないに等しいという。厚生養護施設は3ヶ月程度しか障害者を受け入れてくれない。身寄りのない障害者は3ヶ月後には道に放り出される。そして、その多くが、ホームレスのような生活をする中で「しょんべん」犯罪を犯し服役してくる。その後は、同じことの繰り返しとなる。
 特に近年の高齢化によって、身寄りの無い障害者の数が増えていることも、この問題を更に深刻化させている。

 「知的障害者の多くにとって公的福祉サービスは存在しないに等しい」は話が一面的すぎるけれど、ある条件のもとにいる人たちに関してはそう言えるということだろう。手帳を持たず、身寄りもない人々については、特にそうかもしれない(もっとも、知的障害に関して言えば、手帳がなければサービスが使えないということでもない)。現在は知的障害がある程度はっきりしていれば、児童期からあちこちの機関と関わりながら生きていくことができる(ただし、軽度の発達障害などで普通学校→企業に就職というパターンを進むと、福祉的な支援とのつながりはもてない。まあ、支援を受けなくても周囲の環境に恵まれて無難に生きていられれば問題はないが、何かでつまづくとそのまま孤立しやすい)。たとえ十分な支援が得られなくとも、何か困ったときは「ここに相談する」という場所を決めている人が多い。しかし、ひと昔前の何もなかった時代に育った人は、教育や就労、地域生活など、どの側面でも支援者と結びつくことができないまま生きている。そして、ケアサービスのメニューが整っていく一方で、こういった人たちにとって重要な相談や金銭管理などの支援はまだまだ弱い(相談については、むしろ縮小の方向だ)。司法と福祉の連携も弱い。
 知的障害者と犯罪が結びついた単純なイメージが流布されるのは危険だけれど、長い人生でずっと支援を受けることなく生きてきた人が地域の中で見つかったとき(あるいは地域に帰ってきたとき)、どんな支援体制が組めるか。大事な問題ではある。山本氏の著作が出たら、読まなければ。