泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[障害者支援]福祉の政治化か、政治の福祉化か

 少しばかり前に全国地域生活支援ネットワークから郵送物が届いた。
 昨年度まで「アメニティーフォーラム」として行っていたものを、今年度からは「アメニティー・ネットワーク・フォーラム」としいう名称で行うらしく、その案内。フォーラムの副題は「ポスト自立支援法を展望する+発達障害の豊かな世界」。
 以下はパンフレットの表紙に書かれていた案内文。政治的な方向は数年前からはっきりしていたが、ついにここまで来た。

 この国の社会保障をどのような「カタチ」に創っていくのか、そのことが大きな課題であることは言うまでもない。とりわけ、障害がある人たちの福祉をどう進めて行くのか、気になって仕方がない。障害者自立支援法のことも、発達障害者支援法のことも方向感はOKであるが、正直な感じ不安感は残る。どこまで制度としての可能性が拓かれているのかという点である。
 しっかりと推し進めていくために予算を確保することが必要だ。そのためには、一般的な議論に耐えうるロジックが必要となる。同情やお涙を下さいではダメで、まさに社会保障のあり方として、自立した議論が求められている。そして、その議論は同時に、支援する人たちの専門性について問われてくることだろう。何を指して「専門性」というのか説明が必要だ。どういう行為を専門的な行為として位置づけるのか。専門性の社会化が求められている。
 このたびのフォーラムでは、講師の方のご理解をいただき贅沢に二つのテーマを並べることができた。制度の課題を整理しつつ前向きな運用のあり方を求めることと、専門性という技術を身につけること、それぞれに養わなければならないと思うからだ。地域で普通に暮らし、元気に働くことを支える営みは、号令や根性だけでは難しく、技術(専門性)が必要である。
 この場所から、福祉サービスを利用する人たちと、そのことを支えるために働いている人たちの輝きを消してはならないという、そういう強いメッセージを発信することが出来たらと思う。「美しい国・日本」を創るために必要なことだと思うから・・・・・・。朝から晩までのお勉強というディープな感じから醸し出されるゆるやかな運動に、一人でも多くの人に参加して頂き、みんなで高らかに志を掲げたいと思っている。どうぞ、ふるってご参加下さい。お待ちしています。