泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[近況]院ゼミ、論文コピー

 ドクター院生の発表は統計用語いっぱい。たったこれだけの結論を導くために、これだけの調査をする動機がわからない。いろいろと研究の重要性は説明してくれるが、研究成果の社会的な機能を主張するなら、現場の葛藤や政治や運動について知らないと説得力がない。いっそ「とにかくこれを実証したかったのだ」のほうが潔い。
 論文をコピーして、電車内で読みながら帰る。
古川孝順(2006)「格差・不平等社会と社会福祉」『社会福祉研究』97号,15-24.
 山脇直司に影響を受けたようで、突然、「規範理論」とか言い出した。ずっと社会福祉研究業界では「価値論」だの「社会福祉哲学」だのと言っていたのに。『社会学評論』など読むと、社会学でも「規範理論」を社会学理論の中に含ませようという流れがあるようだし、結局は他分野の後追い社会福祉研究。「社会的バルネラビリティ」という概念を導入したいのだそうな。対象論の再構成といったところ。理論としてはあいまい。
野沢和弘(2006)「国内の動向 ポスト小泉時代の福祉と地方分権」『社会福祉研究』97号,107-110.
 地方分権についてのわかりやすい解説。安部総理には悲観的。小沢民主党ビジョンには財源と権限の移譲に関して評価できが、宮城や鷹巣のことを考えると「地方分権の光と陰を痛感させられる」と。最近、何かと話題の千葉が独自の努力を褒められている。それよりも、たまたま隣のページに載っていた『欧米のケアワーカー −福祉国家の忘れられた人々−』の書評が気になる。昨年出ていた本らしいが、本屋で見たことない。6500円か・・・。どうやら英米の低い労働条件と高い職場移動率、低いケアの質の悪循環を示しているらしい。評者は、労働条件が低くてもミッションが明確なおかげで質が高く保てているところがあることをコメントしているが、それもきっと真実。
三浦俊彦(2006)「仮説と証拠の、正しい関係」『現代思想』11月号,20-32
 仮説の証明にとって必要十分条件であるデータの記述のみを行いなさい。仮説とデータはそれぞれ独立した経緯で得なさい、ということでよいのかな。
牛山久仁彦(2006)「社会運動と公共政策 −政策形成における社会運動のインパクトと「協働」政策の課題−」『社会学評論』57(2)
 あえて「新しい社会運動」とかを持ち出さなくても、NPOと公共政策の話で済んだ気が。特集テーマだから仕方ないか。松下圭一が協働について批判的だということをはじめて知った。協働と言えば、友人のSさん、読んでくれてますか? Sさんはたぶんこの論文読まなくてもいいです。