泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[近況]NPOと障害者支援

 NPOのサポートセンターで行われたNPO支援(協働)関係者のサロンにて「障害者支援の現場から見たNPO」について話す。1時間20分ほどで講演料も結構もらえた(自分にとっては1万超えたら「結構」)。ありがたい。
 聞き手は9人。行政職員が多く、障害児の保護者の前で話すのとは違う雰囲気。スーツの人に囲まれて話すのは珍しいので緊張すると言ったら、みんな上着を脱ぎ始めたのは笑えた。自己紹介を聞くとみんな福祉については全く知らないというので、障害児の暮らしや法人の設立経緯など丁寧に説明する。
 およそ10年ほど前に学生ボランティアとして関わり始めた障害者支援。中に入ってみると、ずいぶん見え方が変わってきたという話をする。そして、障害者支援NPOと一口に言ってもそれぞれに置かれた地理的条件、歴史的条件、制度的条件などさまざまであり、外側から見てマネジメントの良し悪しを単純に判断するのは難しいだろう、ということを話す。これは「NPO支援」の難しさとも関わってくる。また、障害者支援の中でも政治的な立ち位置はさまざまで、中立的にNPO一般を支援するってありえるのだろうかという疑問も口にしてみる。自立支援法ひとつとっても、立場はひどくばらばらだし。
 労働集約性の高さとか、公費への依存度の高さ(と全体の収入の中での利用者負担の割合の低さ)とかにも驚かれたようだけれど、うちの法人がこれまで成り立たせてくれた諸条件を列挙してだーっと説明したので、制度の変化も含めて、いかにちょっとしたことで障害者支援NPOの運営が左右されるのかということはわかってもらえたのではないか。
 今や自分は誰かに運営の相談に乗ってもらうということは少なくなったけれど、障害者支援NPOの芽はこのあたりの地域にもたくさんある。わが子にとって、どうしても必要な資源がないとき、立ち上げようと思う保護者は多い。他分野と比べても、切実な立ち上げニーズがある。数名が集まって、とりあえず何かはじめる。そこで適切なバックアップができる体制が整っていればよいが、何もなければ発展性もないまま、ずるずるとボランタリーな活動が続いて、疲弊していくことも多い。この地域のサマースクールなども、まさしくそうなりかけていたところをうちの法人ができて事業を全面的に引き継ぐことで食い止められた。しかし、これは幸運な例である。安定的にNPOの芽を育てていける組織なり個人があったほうがいい。ただ、それが一般的なNPOサポートセンター的なところにできるのかといえば、ぴんとこない。たぶん難しいだろう。
 うちがするべきか? いや、絶対的に安定しないことには、よその運営にあれこれ口を出している場合じゃない。まだまだこれから。