泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[近況]無知を恥じる

 ここ数日は就学前の子どもと家族の生活について考えさせられることばかりだった。昨日は6月から雇うことになる元保育所所長2人からじっくりと話を聞き、今日は保健士が中心になって組織化した就学前の保護者グループに赴き、話を聞く。
 5年前10年前とは比較にならないほどに障害種別も多様で、保護者もよく勉強している。自閉症児の保護者にはよくある話であるが、専門職顔負けの知識量である。一方で、いくら勉強しても楽になることは限られている。周囲の冷たい視線、制度的環境の厳しさ、専門職への失望。話し出したら止まらない。
 自分は何もわかっていなかった。障害受容も一段落が着き、養護学校という強力な資源と結びついた後の子ども・家族と関わることがこれまではほとんどだった。保育所所長はうちの利用者の乳幼児期をよく知っていたが、そこで語られるエピソードは自分が聞いたことのない話ばかり。今や自分の前で気丈に明るくふるまう親たちも、想像していた以上に苦しい時期を経ていたのである。子どもたちの現在と過去については十分に理解していると思っていた自分をただ恥じている。
 たかだか3万数千人の人口しかいない地域。そんな中にも埋もれたニーズはまだまだある。就学指導など教育行政の問題も大きく、できることに限界はあるが、がんばろう。
 ちなみに困っていた自立支援法の請求事務。金額の入った新サービスコードがようやく昨日、都道府県から送られてきた。それといっしょに送られてきた添付ファイルは合計38個。もう4月は終わろうとしているのに、このドタバタぶり。これからようやく請求準備に入る。
 そして、金曜の夕刻は大学院ゼミ。行ってみると教授が病欠。後輩の発表に対してたくさんのコメントを求められる羽目に。修士課程から博士課程まで、みんな一様に「社会福祉学って何だ」と悩んでいるのが面白かった。休学前と顔ぶれは変わったが、院生の悩みは何も変わっていない。研究内容について、ずいぶん「それは社会福祉学じゃない」とか言われるようだ。教授陣も院生も研究テーマの多様化・分散化についていけず、内容に言及するのを避けるために「社会福祉学らしい」とか「らしくない」という線引きを好んでいるようにも見える。多くの場合、言っている側も「社会福祉学」の条件は説明できない。論文中でこうしたつまらない批判をどう回避すべきか、について話す。
 青い芝の会の会報をほぼすべて入手した院生がいて、今後に注目。彼の研究もまた「それは社会学じゃないか」とか「それがどう役に立つのか」と責められるわけだが。