泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[障害者支援]運動・研究・政治

 状況を整理しておく必要があると思う。ここ最近の運動と政治と研究について。書いてはいけないことも多そうなので、書いても差し支えのなさそうな範囲で書いてみる。
 自分が障害者の支援に本格的に首を突っ込み始めて数年しか経っていないので、昔のことは確信をもって言えないし、知的障害者支援の立場からの観察でしかないが、たとえば5年前と今を比較したときに、運動と政治の関係はずいぶん異なるものだろう。運動には当事者の運動も事業者団体の運動も含まれる。
 少し前の日記にも書いたけれど、2002年の冬、相談支援を行う「コーディネーター事業」の一般財源化を厚生労働省がぶちあげた。運動は一夜にして燃え盛った。障害者関係のメーリングリストを通じて、全国で情報が共有され、抗議文書のフォーマットまでが出回り、全国から厚生労働省は抗議のファックス攻めにあった。あまりの反発の大きさに、厚生労働省は仕事にならなかったとも噂に聞いた。知的障害当事者も身体障害当事者も事業者も一丸となっていた。それだけ相談支援の重要性は誰もが痛感していたのである*1
 年が明け、次に厚生労働省から出てきたのはホームヘルプサービスの上限設定問題だった。この問題について強い危機感を抱いたのは身体障害分野だった。長時間のサービス利用が不可欠である人々にとって、それは当然の反応でもある。ただ、自分の印象だが、ホームヘルプサービスの上限設定に対する運動には、知的障害分野と身体障害分野でいくらかの温度差があったように思う。コーディネーター事業問題ほどの大きなうねりにはならなかったが、上限を設けるわけではないという厚生労働省からの回答を引き出し、運動は落ち着いていった。
 そして、支援費制度が開始され、初年度から予算不足に陥る。そこで2003年の冬、移動介護の単価を信じがたいほどに落とす案が厚生労働省から出された。自分は激怒したし、コーディネーター事業の頃のような激しい運動が起こるのだろうと思っていた。しかし、障害者関係のメーリングリストは全くの無風状態だった。投稿して運動を呼びかけても、誰も応じてくれなかった。誰がどこでどう動いているのか、何の情報も入ってこない。この問題は身体障害分野にとっては大した問題ではなかったし、知的障害分野でも移動介護の利用実態は地域格差が激しく、皆が同じ意思ではなかった。とある人が紹介してくれた某掲示板上で、ようやく厚生労働省に働きかけようとする人々がいることを知った自分は、事業者の困窮ぶりを中央に届けようとデータを提出したりもした。一度だけだが、厚生労働省にも行った。
 このときの極端な単価減が小規模事業者に及ぼす影響を、厚生労働省は全く見誤っていた。事業者から提出された資料を見て仰天した厚生労働省は単価案を撤回して「拙速だった」と言った。このあたりから「行動援護」の創設につながる研究が、一部の研究者と事業者の協力のもとに行われるようになる。知的障害をもつ人への支援がどのように大変かを実証的に明らかにして、誰にでもわかる言葉にしていくことが必要と感じられたからだ*2。運動と研究の連動である。
 しかし、実証的な研究に基づく政策提言だから政治的な成果をあげるという単純な話にはなっていない。それでうまくいくならば、毎年数多くの研究者によって量産される研究の数々は、多くが活かされてよい。多くの研究論文はマイナーな雑誌や研究紀要に掲載され、特定少数の研究者の目にだけ触れて、忘れられていく。学術的な成果として、それが価値がないとは言わない。しかし、研究が政策に何らかの影響を及ぼせるか否かの境目はどこにあるのだろうという疑問は湧く。
 自分が外野から見ている限りだと、この数年の障害者福祉においては、厚生労働省と「良い関係」を築けたところが、運動上の主張もその根拠となる研究成果も政策へと結びつけられているように思う。正論を言っているから、実証的な根拠に基づいているから認めてもらえる、ということには全くなっていない。本来なら非の打ち所が無い「正論」から責め続けられ、嫌気がさした厚生労働省が対話を好まなくなる、話しても十分に相手にしてもらえない、というような状況はないだろうか。激しい運動を展開しているところや、政治的に特定の立場に偏った団体は、かなり不利な状況にあるようにも見える。今や障害者福祉に関係する運動は完全に分断されてしまった。されてしまったと書けば受動的だが、厚生労働省がそこまで意図して仕組んだとも思えない。運動に対する方法論の違いが際立つような条件が、偶然に与えられた結果ではないか。分断されたものを横に結びつけようと努力する人はいるが、人の生活や生命に対する思想は一致させられても、運動の方法論を一致させるのは妥協点とも関わってくるから容易でない。
 こんな状況がフェアではないと主張するのはきっと簡単なことだし、重要なことだ。それでも、運動は成果をあげなければ意味がない。政策提言を目的とした研究は、無視されれば空しい。自分は悩んでいる。運動に携わるとすれば、何をすべきか。研究に携わるとすれば、何をすべきか。少なくとも「政治」と無縁ではいられないような気だけはしている。

*1:その頃の様子は、http://totutotu.hp.infoseek.co.jp/coordinator.htmに詳しい。

*2:このあたりの経緯は、全国地域生活支援ネットワークの機関紙『PIECE』等に詳しい。