泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[読書]積読本を片づける

市民の政治学―討議デモクラシーとは何か (岩波新書)

市民の政治学―討議デモクラシーとは何か (岩波新書)

 読了。大御所の手による、とてもわかりやすい入門書。後期近代の特徴と市民社会論の系譜を簡潔にまとめ、市民参加を通じた討議民主主義の価値と手法について諸外国の実例も交えて解説。コンセンサス会議以外の制度はすべて初耳だった。なぜか自分に連想されるのは、NHKの視聴者参加型討論番組。全然レベルは違うのだけれど。
 はたして討議民主主義がこの国の社会保障に関わる政策決定に影響を及ぼすようなことが考えられうるのだろうか。全然イメージできない。
国家民営化論―ラディカルな自由社会を構想する (知恵の森文庫)

国家民営化論―ラディカルな自由社会を構想する (知恵の森文庫)

 リバタリアンの考え方を少しは知っておこうと読書中。まだ3分の1ぐらい。なかなか新鮮で面白いが、

 社会契約論の立場から出発する以上、国家を原理的に否認することは不可能である。せいぜい、国家のなしうる範囲を限定することしか、論理的には許されない。しかし、商品交換の普遍的な実践に所有権の根拠を見出す立場は、国家の必然性を論理的に否認しうる。国家は市場に解消されうるし、解消されなければならないのである。(76ページ)

 「貨幣の専制」は最悪の場合でさえも、個人に死を強制はしない。「国家の専制」は諸個人を、大量死が待ちかまえる戦場に追いやるのである。せいぜいのところ市場は、マネーゲームの勝者しかもたらさない。「貨幣の専制」における特権者は、他と比較して、相対的に多額の貨幣を獲得した者にすぎない。そこでは国家のような、人間に死を命じうる絶対者など、原理的に存在しないのである。(77ページ)

 いちいち「論理的」とか「原理的」という条件つきで語る理由が気になる。「何」的にならば、国家の必然を否認できなかったり、絶対者が存在したりするということなのだろうか。ああ、もう眠い。寝る。