泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[研究?]石川論文

 少し前の日記(http://d.hatena.ne.jp/lessor/20051204#c1134898987)にコメントをいただいた。hituzinosanpoさん(あべ・やすしさん)、情報ありがとうございます。少し長くなりそうな気もするので、こちらでお返事します。
 「ディサビリティ」論文も以前読んだのだけれど、でも「もっと古い『社会学評論』だった気がする」「たしか文章が縦書きのころの『社会学評論』」と思い、部屋中探してみる。
 論文コピーの積み上げられた山の中から発見。これだ。
石川准(1988)「社会運動の戦略的ディレンマ −制度変革と自己変革の狭間で−」『社会学評論』第39巻2号、153-167。
 ちなみにhituzinosanpoさんの教えてくれた論文も同じ山の中から発見。
石川准(2000)「ディスアビリティの政治学 −障害者運動から障害学へ−」『社会学評論』第50巻4号、586-601。
 「社会運動」論文は、社会運動を圧力集団のロビー活動と区別する基準として「自己変革」視点を導入する。まず「社会制度や社会意識を変えていこうとすると同時に、自分達のアイデンティティやライフスタイルを変えていこうとする集合行為だけが、社会運動である」という定義に基づいて、資源動員論による社会運動分析上の問題点を指摘。新しい社会運動論についても自己変革側面に関する戦略を示すというより「社会運動のマクロな力量を見極めることに傾注していると解釈すべき」と述べて、「制度変革」と「自己変革」の同時達成をめざす社会運動が陥るディレンマを「ネットワーク特性」「組織構造の選択」「外部からの資源調達」「実力行使の有効性」などの論点から検討していく、という内容。もちろん自立生活運動を意識して書かれているが、障害者運動についての論文というわけではない。終盤では「制度変革」と「自己変革」という2つの目標達成を一つの社会運動体に負担させること自体が酷だとまで言う。自分がこの論文を覚えていたのは、知的障害者の親の会組織と接してきた経験からこのディレンマに強く共感したからであったように思う。この困難を自立生活運動がどう乗り越えてきたのか、から親の会運動が学ぶべき点は多いだろう。障害者運動の「文化」と「政治」の葛藤を論じていたという記憶は少し違ったが、新しい社会運動論による運動戦略分析が難しいことは20年近く前から言われていたということになる。
 「ディサビリティ」論文は、障害者運動を平等要求と差異要求の二つに引き裂くことを批判しているものなので、たしかにこちらのほうが直接的に政治と文化の葛藤を描いている。思い違いをきっかけに内容を忘れていた論文を2本読み返すきっかけをいただいた。
 ちなみに、あべ・やすしさんのページはこちら。
http://www.geocities.jp/hituzinosanpo/
 こういうアプローチもあるのか、と勉強になります。