泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[日誌]説明

 まだ利用契約作業が続いているのだが、今日の契約はいつもと違った。
 はじめて「本人」に内容を説明して理解してもらえる可能性がある契約だったのである。可能性の有無はこちらでいつも判断しているわけで、「お前が勝手にそう思っているだけじゃないのか」と言われるかもしれないが、うちの利用者の顔ぶれを知っている人ならおそらく同意してもらえると思う。そもそも利用は圧倒的に子どもが多いのだし、住所と名前を自分で書けるのもこの人ともうひとりだけだ。
 契約に立ち会った保護者が自分の斜め前に座ったので、同じ思いだとすぐにわかった。契約書と重要事項説明書をものすごくかみくだいて説明していく。抽象的な言葉はイメージしにくいから、すべて具体的で身近な固有名詞に置き換える。あいまいな言葉を何となく理解できることが、コミュニケーションを日常どれだけ節約させているかがよくわかる。裏を返せば、実はたくさんのことが誤魔化されているかもしれないということでもある。聞こえがよく無条件に正当化されそうな文章でも具体的に話そうとすると、どんどん自分たちのすべきことや相手に求めなければいけないことを自覚させられる。
 とりあえず1時間ほどかけて説明して、ずっと「はい」とうなずきながら聞いてくれていたが、はたしてどれだけわかってもらえただろうか。一方、夕方に予定していた契約は先方が「忘れていた」そうで、先延ばしに。ふう。