泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[障害者支援]また行動援護の話

 全国地域生活支援ネットワークの機関紙『PIECE』4号を少し読む。自分と直接のかかわりのある部分での動きとしては、行動援護の対象拡大に向けての提言がはじまっている、ということ。しかし、読んでいてむなしい。うちではサービス提供責任者の要件を満たせる者がいない。そして、仮に要件を満たせる者が見つかり、行動援護を開始したとしても、サービス提供できるのは3名のみ。うち1名は、ホームヘルプを中心にまかせており、行動援護のサービス提供にはなじまない。実質2名である。対象が広がっても、これではヘルパー調整ができない。
 愛知の「行動援護に関する実態調査」の結果も出ているけれど、「行動援護を利用したデメリット」として事業所が回答している内容が実態を示している。
「管理者・サービス提供責任者が激務となった」
「供給体制が不十分」
「全体利用のコーディネートや事務作業の煩雑化」
「活動できるヘルパーが限られてしまうため、利用者の人間関係が狭くなってしまう」
「ヘルパーのやりくりが難しい。これまで利用に入っていたヘルパーが利用に入れなくなったことと、ヘルパーによって入る利用にかなりかたよりができた」
「活動計画作成が制限されてしまう」
「ヘルパー確保が難しい」
「5時間以上はコスト面で対応できない」
「入れるヘルパーが限られることで、利用回数自体が減った」
行動援護が取れない行動障害がある方への支援がまだ保障されず、取れた人との格差がある(支援は必要なのに認められない)」。
 愛知の知的障害者・児童の居宅介護事業所数は1063。行動援護を実施する事業所は18。事業所の母数から考えると異常に少ないように見えるが、1063のうち介護保険事業所で支援費の指定だけ受けている事業所が大多数だろうから、まあこんなもんだろう。事業所によっては、利用者の35%とか25%が「行動援護」であるところもあるようだ。しかし、他は10%程度。利用人数で言えば、ひとケタである。その調整さえもままならないのである。本来は「45%があてはまる」と行動援護に関する研究班は言うのだから、おそろしい。
 これほどまでに高い資格要件を設けてまで行動援護類型の制度化を促したのは、移動介護の単価減と今後の市町村事業化に伴い、ある程度の単価が維持されうる支援が必要だったからのはずだ。「メンタルなケア」が重視された画期的な新制度みたいなことを言う人もいるが、実態としてはかなり移動介護でもそれはできていたし、今もなされている。居宅内外を問わないのは新しいが、それだけが行動援護類型を必要とする理由にはならない。そもそもメンタルなケアを本当に厚生労働省が重視しているなら、介護保険の要介護認定を障害分野にも用いようなんてことになるはずもない。この制度は、事業者が経営的に生き残るためにできた制度である。事業者がつぶれれば利用者に与える影響ははかりしれないが、少なくとも利用者のニーズに基づいて創設されたものとは言えない。
 多くの事業所の声は「この資格要件だと支援が調整できず、効率的・効果的な人的資源の活用ができない」というものであることが、先ほどの調査への回答からわかる(回答数は非常に少ないが、事業所そのものが少ないのだから仕方ない)。しかし運動団体としては「対象の拡大」が必要だと言う。これは全くわからない。たとえ対象が拡大されても、ヘルパーの調整が今まで以上につけられなくなるだけである。対象の拡大を求めることと、資格要件の緩和を求めること。なぜ前者の動きだけが起こるのか。後者を求めれば、引き換えに単価が下がると言われるだろう。しかし、対象者の拡大を求めることもその点では同じでないのか。長い目で見れば、要件をクリアしたヘルパーが増えると思われるかもしれないが、専従で長く雇える職員なんて数がしれている。若いヘルパーが求められる事情もあり、主婦層を活用してきた高齢者分野とは状況が全く異なる。
 どうせこのままの路線で突き進むのはわかっているが、一応言う。移動介護の市町村事業化は残念だが、すでに決まったことだ。移動支援になったときの市町村との交渉では、できるかぎりのものを引き出していけるように努力する。しかし、それでも経営が立ち行かなくなる可能性は高い。そうなれば「行動援護」は生命線だろう。それでも、今の行動援護には乗れない。現在の行動援護の単価が1割落ちてもかまわないから、従業者の要件を緩和してほしい。
 まだまだ疑問は尽きない。
 「高度な専門性が必要」なんて、本当に思っているのか。思っているなら、これまで事業所が大卒して間もない職員や学生の力でやってきたことは「専門性がなく、利用者にとって不十分なケア」だったと言うことか。
 行動援護の利用者の多くは通所先などにも通っているだろうが、そこでも経験2年以上の職員のみが関わっているのか。関わっていないとすれば、「専門性の高い」支援が必要だという点での整合性はどう保たれているのか。
 新規に事業所を立ち上げたければ、すでに障害分野で経験年数5年以上の者と2年以上の者が既存の施設や事業所を辞めるしかなく、新卒職員の採用はできないということでよいのか。
 「専門性の高い」職員に囲われる重度の知的障害者と、さまざまな人との関係が開かれている軽度の知的障害者という区別を強めてよいのか。
 以前にも同じようなことは書いているけれど、検索エンジンから「行動援護」でやってくる人もちょくちょくいるので、そういう理不尽な制度だということを知ってもらうために、改めて書いた。