泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

親たちの協働

 朝から某保護者と話。情報量が多い人なので、地域の実情や政策動向について自分と同じような状況判断。有意義な情報も聞けた。
 それにしても親の会は相変わらず苦労している。全日本手をつなぐ育成会など、会員を増やそうとがんばっているようだが、この「関われば関わるほど、忙しく大変になる」組織のあり方をなんとかすることが最重要課題だろう。田舎の親の会組織は実質的には10人とかそれに満たないぐらいの中心メンバーで動いている。その人数の中で役員を選出して、あちこちの団体から「実行委員会を作るので、誰か委員を出してくれ」などと言われれば「せっかく声をかけてくれているのだから」と出し、金が足りないとなれば、フリーマーケットだ物品販売だと走り回る。それを子育ての間にやっている。
 親の会といっても、子どもの年齢もばらばらなら、親の年齢もばらばら。子育てについての自信の持ち方もばらばら。ライフスタイルもばらばら。セルフヘルプグループとして確立されているわけでもないから、それぞれの価値観の単純なぶつかりあいや仲違いもざらである。「平等な参加」が難しい運動や事業運営から親たちが少しでも解放されることで、セルフヘルプグループとしての機能を高めていくことも期待して、自分は法人・事業所を立ち上げた。学齢期の放課後ケアを担うことで、一定の成果はあげてこれたと思うが、地域の授産施設や作業所での受け入れが限界に達して、今度は卒業後の問題が出てきている。するとまた親たちに期待の目が向けられる。元の木阿弥である。
 行政は親たちを励まして「作れ」と言うが、その難しさたるや想像を絶する。こんな田舎では、「仲のよい親だけが集まってわが子のために社会資源を作る」ということにはなりえない。そんな動きは行政も関係団体も支えてくれない。では、どうするか。「同じ地域に暮らす障害児の親」であるという以外に何の共通項ももたない人々が何らかの理念と方法のもとに結集するか、別の第三者が資源を作るかのどちらかである。後者の動きは今のところ見られないので、求められるのは前者ということになる。このような経緯でできた作業所があったとして、それをもはやNPOとかボランタリー組織とか呼んでよいのだろうか。何か違う気がする。