泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 野沢和弘(2005)「障害者福祉はどうなっていくのか?」『社会福祉研究』第94号、104-108.
 著者は毎日新聞社会部副部長。

 …直接の負担増とは見られないことからあまり議論になっていないが、実際には重要になってきそうなのがサービス体系の再編である。(105ページ)

 これを言ってくれる人が少ないのである。いや、言っている人はたくさんいるのだが、マスコミはクローズアップしてくれない。

 若い世代にツケを回さないためには、障害者も要求ばかりするのでなく少しは我慢してくれ、ということなのだろう。
 しかし、日本の累積赤字はもとをたどれば、あのバブル景気に踊り、その後も失政に失政を重ねてきた結果ではないのか。日本中が浮かれていた時も障害者の福祉は大して良くはならなかった。なぜバブルの崩壊で残った借金のツケを障害者にまで押し付けようというのか。
(中略)
 ところで、障害者福祉の予算を削らなければ、国家の累積赤字は減らないのかと言われれば、決してそんなことはない。
 例えば、今年最大の談合事件の摘発として話題になった「橋梁談合」を見てほしい。国土交通省の関東、東北、北陸各地方整備局が発注した鋼橋工事の平均の落札率(予定価格に対する落札価格の割合)は、2003年度で約94%。談合がなければ90%を割り込むことが多いとされる。年間の市場規模に当たる3500億円すべてが談合と仮定して、談合により得た利益(無駄に費やされた税金)を、落札率の差を5%として計算すると、175億円程度ということになる。(中略)しかも175億円という額は国土交通省の関東、東北、北陸各整備局が発注した工事だけである。橋梁談合事件では、日本道路公団の工事のほうがはるかに悪質だとも言われている。なにせ落札率100%という工事があり、道路公団からの天下り役員が談合企業に40人以上もいる。天下りを一掃し、談合を排除すれば、いったいどれだけの予算が本当に必要なところに使えるのだろう。(107〜108ページ)

 こうした話をしても仕方がないとはわかっている。必要なところに金がまわってきていないのは障害者福祉だけではないだろうから、単純な数値の比較はあまり意味がない。「無駄な金の使い方をしているじゃないか」というのではなく、ただ「必要ではないか」と言えたほうがよいに決まっている。それでも多くの人にとっては、何か比べる対象があったほうが理解しやすいのだろう。誰に、何を、どんな方法で主張するのが有効か。