泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

論拠と裏づけ

 おとといから引き続き、Chris Hart著『Doing the Literature review』。第3章「Argumentation Analysis」。全然進まない。おまけにこれまでのところ、特に目新しい話もなし。かなり嫌になってきた。このまま長い時間をかけて読み進めて、結局得るものがなかったどうしたものか。英語力がないと、洋書はこわい。と思いつつ、紹介されていたToulminの議論の構造モデルについてインターネットで調べてみると、なんだかその価値を十分に理解できていなかったことがわかって、反省。
 ただ、あちこちのウェブサイトでは「Data(根拠)」と「Claim(主張)」をつなぐものとして、「Warrant(論拠)」が強調されているのに対して、ここでは議論の構成要素として「論拠」を支えるものとして「裏づけ(Backing)」がはっきり示されている。加えて、「論拠」は「since」で、「裏づけ」は「Because」だというから、「論拠」以上に「裏づけ」のほうが強いらしい。
 しかし、読めば読むほど「論拠」と「裏づけ」の関係が、「根拠」と「主張」の関係と同じような気がして、あえて「論拠」と「裏づけ」を分けた意味って何だろうかと考えこむ。「裏づけ」の「裏づけ」もまた必要になってしまうだろうし、「裏づけ」と「論拠」の因果性もまた問われかねないし、きりがない。本書の事例に示されている論拠は規範的なものだけれど、どうやらいつもそういうわけでもないらしいので、やっぱりわからない。根拠と主張の間の自明性を疑え、ということはわかるのだけれど。