泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

つれづれなるままに

 機会があって、NPO法人がやっているフリースクールに行く。以前から名前は聞いていたが、何の詳しい情報も入ってこなかった。
 常勤職員1名だが、いい法人だった。代表夫人に会って話したところ、強い信念を持ち迫力があった。地元自治体からの補助はまったく受けていないのに、数百人の会員やボランティアに支えられ、地域に開かれた多様な事業展開。認定NPO法人にもなることのできる条件が整っているのだという。それを理想的な形と考えているのかどうかは・・・聞きそびれた。
 うちはある意味で行政頼みのNPOだと思う。というか、社会福祉法人であれ、民間企業で介護事業をやっているところであれ、介護報酬や支援費といった金を自治体から受け取っていることには変わりがない。それが、たとえ「代理受領」ということであっても。
 今のところ、障害者福祉は税で支えられているが、自分はその税を有効に活用できているだろうか、と自問自答してみる。まだまだと思う。同時に、有効に活用できていると実感できるようになるには、より多くの社会資源を作り出していかねばならないだろうと思う。しかし、それが無償で自発的な労働力をうまく活用するものだとしたら、どうか。
 わずかな職員数にもかかわらず、とてつもなく実績が大きく、人件費率が極めて低いようなNPOがしばしばある。多くのボランティアが活躍しているに違いない。うらやましさは感じるが、いったいどこからどこまでがボランティアですべきなのかを考え出すと、さほど話は単純でない。
 行政のできないことをするのがNPOだという人もいる。他方では、地域の力でできないことをするために行政ができたのだと説明する人もいる。どちらのロジックも、行政が使い出すとろくなことがない。こう危惧すると「福祉の人間は行政にばかり依存してうんぬん」と批判されるかもしれないが、実際に行政職員の口からこうした説明が目立つようになっている。後付けの理念など持ち出さず、素直に「金がないから」という行政はまだ良心的なのかもしれない。
 全国ネットの機関紙が届いた。コミュニティビジネスについて書いてある。これもはやりだが、やっぱりよくわからない。コミュニティビジネスの定義は人によってまちまちだろうが、地域に解決すべき課題があるとして、それをビジネスで解決すべきかどうかの線引きはどこで引いたらよいのか。自分はまったくこの件について不勉強だが、はっきりとした回答があるのだろうか。ビジネスとして成立すればそれでよいのか。もしそうなら、成立しないものは、誰がすべきなのか。そもそも「課題」って何だ?
 公私関係は現実にどう区別されているのか。そして、どう区別されるべきなのか。「正しい区別」というものがあるなら、それへの移行に向けて現場や政治はどんな手順を踏むべきなのか。なんだかまったくまとまらないが、ボランティアに関して言えば「金がないので、(金ができるまでのあいだ)ボランティアが必要なんです」とみんなで言いながらボランティアを集めたりしたほうが、ある側面においてはよいのではないかという気さえしてきた。これはボランティアコーディネーション論からすれば、超のつく暴論である。それでモチベーションがあがるボランティアはいない。ただ、ボランティア活動というものに単なる自己実現にとどまらない社会運動としての側面があるとすれば、このボランティア解釈が単純に間違っているようにも思えない。これはこれで一面的だというだけのことである。