泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ケアの分有化

中根成寿(2005)「障害者家族におけるケアの特性とその限界」『立命館産業社会論集』40(4),51−70.
http://www.arsvi.com/0w/nn01/050331.htm
 「家族(特に親)がやってきたケアを、そのまま単純に社会に担わせようとしたって、子どもをケアするということが親にとってのアイデンティティになってしまっているから、抵抗感があってうまくいかない。家族によるケアを社会に移行させるためには、ちょっとずつ家族のアイデンティティを弱めていくために、親亡き後のための権利擁護の仕組みを整え、親が子どものことについて参加する余地を残し、子どもの将来の展望を描けるような暮らしのモデルを示すことが大切だ。」
 と要約すると、「そうですよね」としか言いようがないようにも思うけれど、確かにあまり論文として指摘したものは見たことがない気もするし、社会学的には新しいのだろうか。うーん。
 ところで、この理屈からは、権利擁護、ケアマネへの当事者参加、住まいの場などの社会資源がそろっていれば、ケアの分有化に対する家族の心理的抵抗は弱まる、という仮説が生まれるわけだ。すぐれた地域ならば、これは既にできているはずのことなので、どなたか地域間の比較をするような実証研究してみませんか(また他力本願)。