泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

目撃情報と評価

 仕事で動き回っていると、知っている人間と会うことも多い。ガイドヘルプ中のヘルパーどうしが出会って、そのまま合流なんてこともある。今日も学生ヘルパーどうしで、そのパターンがあったらしい。自分の場合、一方的に目撃されていることも多い。そして後日、保護者や学校教員などに「こないだ、○○で見た」などと言われる。
 先日は、養護学校の事務職員(こちらは全く顔を知らない)から「先週の木曜日、○○にいませんでしたか?」と聞かれる。確かにガイドヘルプ中だった。しかし、そこは電車とタクシーを乗り継がなければ行けない遠方のシネコンである。まさか、そんなところでまで目撃されているとは。「隣のテーブルでごはんを食べてました」と言われ、自分の食事中の子どもとのかかわりに問題がなかったかどうか、自問自答する。
 こういうことがあるたびに、サービス評価のことを考える。施設のサービス評価と比べると、居宅サービスの評価は遅れている。サービス内容によっては、施設以上に密室化された環境の中で、第三者の目が行き届かない。サービスに対する不満等を表現するのが難しい利用者の場合、評価はほとんどサービス提供者側の自己評価に頼られかねない。
 一方、ガイドヘルプはかなり人目にふれる。まだまだ地域社会の中で障害児の認知度は高くないかもしれないが、子どものことを知る住民が増えれば増えるほど、ガイドヘルパーによるサービスをチェックする者の数も増えていくことになる。それが合目的なシステムになりうるかどうかは別として、少なくともヘルパーにとってはいい意味でのプレッシャーになる。
 人目があろうがなかろうが、適切なサービスを行なおうとすることに違いはないが、それでも「誰かに見られている」というのは列挙された評価項目に添ってチェックされるよりも、ずっと身が引き締まる。ちかごろ社会福祉実践業界は評価ブームであるが、施設オンブズマンなどの取り組みをもっと強制力をもって推し進めたほうが施設にとっては脅威だと思うのだが、どうか。