泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

厄日だ

 今日もまた望まれるとおりのヘルパー調整ができず、ただ落胆。遠まわしに責められる。ヘルパーがいない。若い世代のヘルパーが望まれているが、学生ヘルパーは大学の講義があってサービスに入れない。常勤職員は既に利用依頼が入っているので、どうにもならない。それでも責められる。
 利用者間では、事業所についての断片的な情報が飛び交い、ヘルパーの調整状況についての憶測もとぶ。正確にすべてを把握できているのは、事務局だけだ。情報開示すれば理解は得られるかもしれないが、理解を得られることと納得されることはまた別のことでもある。守秘義務だってある。ヘルパー不足に対する具体的な解決策はまだ見えていないから、今はただ謝るしかない。
 ヘルパー研修や他の事業者の調整能力など、うちだけでは解決しえない問題がどんどん運営に影響を及ぼしつつあるため、他法人の事務局長と協議する約束を取り付けたところだった。サービスの実施について「役割分担」をしてしまえば複数の事業者の中から「選ぶ」ことはできなくなるが、お互いの強みは活かせたほうがいいに決まっている。今まさに使っている利用者がいる以上、どこもつぶすわけにはいかないし、つぶれたときに他の事業所がフォローできるわけでもない。良心的なところならば、どこも既にできる限りの無理をしているのである。他所の無理まで受け止める余裕などない。事業者間の馴れ合いとも、つぶしあいとも違う道を模索していくことになる。ネットワークとか連携とか言うと言葉はきれいだけれど、金の問題も無視できないから厄介な話し合いになるのは必至だろう。
 昼からの社協のボランティアセンター運営委員会は、ボランティアが「ボランティアの楽しさを分かち合うため」「交流するため」の場所を欲しがり(この目的意識のレベルの低さにもうんざりだが)、空き部屋を交流スペースを含む「ボランティアセンター」としてもらう代償として、運営委員がボランティアセンターの窓口に輪番で詰めることに。受け取った資料に窓口での運営委員の役割が書かれているが、どう考えても社協専従のボランティアコーディネーターの仕事。相互の役割分担を聞いたところ、「同じように仕事をやっていけるのが理想」らしい。社協コーディネーターも一番はりきっている運営委員も同意見。それだったら、コーディネーターの専門性って何なのだ。バカバカしい。一方で「一部の運営委員の負担が大きいから、また7月にでも集まらなければならないかもしれない」とも言うのだから、杜撰なプランにもほどがある。会議中で「じゃあ、この日は私が午前中に窓口に入る」とか、運営委員どうしでの1か月分のシフト調整が始まるのもありえない。そして、仕事をしているため窓口に入れない自分たちには「負い目を感じてほしい」そうだ。意味がわからん。
 誰ひとりの口からも「ボランティアコーディネーション」なんて言葉も出ない。ボラセンの運営委員のくせに、みんなそんな言葉さえ日常語になっていないのだ。そのくせみんなプライドばかり高く、人の言うことになど耳をかさないのだから救いがたい。誰の話からも「地域の福祉課題を解決したい」なんて熱意は感じられないし、レジャー的ボランティアグループの既得権拡大に励むのだろう。くだらなさすぎる。
 そんなことに苛立ちながら事務所に戻ろうとすると、自転車がパンク。このあたりの道が走りにくいせいで、年に数回はある。明日は朝から自転車屋だ。