泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

カタカナ多いな

 芝野松次郎(2005)「エビデンスに基づくソーシャルワークの実践的理論化:アカウンタブルな実践へのプラグマティック・アプローチ」『ソーシャルワーク研究』Vol.31 No.1,20-29.
 最近、ソーシャルワーク研究業界で実証路線を「独走」気味の関西学院学派(そんな学派があるかどうか知らないけど)。みんなアメリカ大好き。大好きであるのは、別にいい。そこから学ぶことがたくさんあるのならば。同著者の『社会福祉実践モデル開発の理論と実際―プロセティック・アプローチに基づく実践モデルのデザイン・アンド・ディベロップメント―』(2002)を見ると、現実に成果もあがっているようだし、調査能力に長けた研究者グループがいることは心強い。同著の第2章「社会福祉専門教育と実践理論システム」も、この業界でテキトーに用いられてきた「理論」「モデル」「マニュアル」概念をちゃんと区別し、理論と実践の関係についての論考もほとんど共感できる内容である。
 ただ、データベース化された情報群の中から検索エンジンを用いてお目当ての実践手続きを見つけ出して活用するというような構想や、

・・・理論の発展から演繹されるはずの実践手続きが追いつかない状況がある。そのような状況では、アドボケイト(advocate)やエンパワー(empower)、マネジ(manage)といった機能をことばとしては理解していても、具体的な状況で人の問題解決やニーズの充足を援助するために、そうした役割をどのように遂行すればよいのかが明確にはならない。すなわち、実践活動をガイドし、可能にするモデル化された実践手続き(実践モデル)のデザイン・アンド・ディベロップメントが必要となる。(26ページ)

 といった主張のほうに強く力点が置かれだすと、思うことがある。
 「そこまで具体的にやり方を示されないと、適切な実践はできないものなのだろうか」と。
 恋人とのデートを目前に「デートマニュアル」の類をインターネットで検索するような「何も自分の頭で考えないやつ」にソーシャルワーカーのイメージが重なる。
 そうしたマニュアルをほとんど持たない自分に十分な仕事ができているかと言われれば自信もないし、参照できる具体的な手続きが数多くあれば、仕事上の手がかりになることもあるかもしれない。しかし、現場が理論から演繹的に実践手続きを導出していくことをあきらめてしまうのには抵抗がある。本論中でも、岡村理論からソーシャルワーカーの役割を演繹しているわけであるし、抽象度の高いものが否定されていることは全くないが、実証研究が以前よりも圧倒的に流行っており「理論研究」をやる若い世代がまともに見当たらない昨今、「具体的なもの」を求める研究がクローズアップされるばかりで大丈夫だろうか。「理論」だってひとつのシステムとして、実践者の負担を軽減するために生まれてきたと思うのだけれど。抽象度が高いからこそ、多様な文脈の中でそれが活用できることも言えるだろう。現場が自分の頭で考える習慣を失わないことと、そうしたマニュアル化の負の側面を研究者が後押ししないことをただ祈るばかりである。
 著者は自らの方法論に基づいて、主に児童分野(子育て支援児童虐待対応)で実践モデル・マニュアルを作ってきているようなのだが、成果物は現場や研究者によってどういう評価をされているのだろうか。大事なのはそこだ。これ読んでいたら教えてください、grouchさん。
 そして、ヘレン・ハリス・パールマンが昨年亡くなっていたことを知る。合掌。