泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「役に立つ」ということ

中河伸俊(2005)「ラウンドテーブル報告 応用構築主義と批判的構築主義構築主義の有用性?―」『フォーラム現代社会学』4,75-81.
 昨年の関西社会学会?のラウンドテーブル報告。行きたかったけれど行けず、当日配布資料だけ入手できていたが、この報告でなんとなく全容が見えた(しかし、部屋のどこかにあるはずの配布資料がさっきから見つからない・・・)。
 とても(自分にとっては)ハイレベルなので、おそれおおくてコメントなど不可能だけれど、気になった部分や今後考えていきたいと思った部分をメモ。

 応用EMといわれるものの例として、氏は最近邦訳されたメイナードの『医療現場の会話分析』(Maynard 2003)を俎上にあげ、そこで会話分析の成果の応用として「悪い知らせ」を伝えなければならない医師に推奨されるやりとりの技法(たとえば「質問しながら質問によって答える」といった)が、はたして医療現場で「役に立つ話し方」を同定したものといえるのかと疑念を呈す。医師と患者やその家族とのやりとりは、その毎回が「その場に固有の詳細」を形作るさまざまなリソースに支えられており、あるやりとりの場面と「同じ環境が、これから発生する別の環境で整えられると考えることは現実味がない」。だから、メイナード自身も、彼の推奨する技法上の心覚えに「もし有効であるなら」という(一種同語反復的な)前置きをつけている。しかし、本当にその心覚えが適切かどうか、有効かどうかは、実際に使ってみなければわからない。(78ページ)

 氏は、社会構築主義は上記のような有効性とは無縁な理論であり、それがその理論のユーザーとしての氏にとって役に立つのは、まさしくそれが「逆なで」するからだという。病は構築物だというテーゼは、医学・医療関係者を「逆なで」しかれらの想定を揺るがすからこそ、他の可能性を考えさせるという相対主義固有の有効性を発揮できる。氏は最後に、臨床社会学やナラティヴ・セラピー、NBM(ナラティヴ・ベースド・メディスン)は「役に立つ」「有用」「有効」かと問い、制度的臨床における支配的言説としての近代医学の立場から見たときには、「有効でない」という答えしか出ないと述べる。それらは、それらの内側で自らの有効性を構築しているのである。(79ページ)」

 社会的実践において同一環境の再現が困難であるということは当然だが、あまり論じられないのでずっとフラストレーションがたまっていた。実証主義的な研究方法を好んで用いるソーシャルワーク研究者にとっても大事な問題提起ではないか。
 「逆なで」はよく言われることなので理解できるのだが、「それらは、それらの内側で自らの有効性を構築している」は、意味がわかるようなわからないような・・・勉強が足りない。