泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

どうするヘルパー研修

 昨日のことになるが、ガイドヘルパーの研修をどう進めていくかの議論をしていた。言うまでもなく、ガイドヘルパーの仕事は「外出を支援すること」である(うちの場合は、特に「知的障害児」の)。では、外出支援のスキルアップを図りたいと考えたとき、いったい何を勉強したらよいか。これがなかなか難しい。
 ヘルパーを集めて「何を学びたいか」を聞いたところで、研修化できるようなテーマはほとんど出てこない。たとえば発達についての専門的な話をどんどん深めていこうと思えば、できないことはない。しかし、そうした学習の成果に、多くのヘルパーは懐疑的である。そして、自分自身も。
 当たり前の話になるけれど、研修というものは一般化を志向するけれど、個々の支援というものは個別化を志向する。不特定多数にとって役立つものでなければ、わざわざ研修を組む意義はなくなるから、さまざまな支援の最大公約数をテーマ化するしかない。ところが支援内容の個別性の高さゆえに、その最大公約数がすごく小さいのだ。
 「本人の自己決定を尊重するとはどういうことか」ぐらいまで抽象度をあげてしまえば、万人に関連する話にはなる。ただ、抽象的な問いへの答えは抽象的になるのが常である。具体的な答えを求めるならば、それは文脈依存的なものになる。文脈依存的な答えは、うまくいけばマニュアル化につながるが、それがこの分野で難しいことはよく知られている。ましてやガイドヘルプは支援の行なわれる場もその目的も多様性を極める(もちろん個々人の障害特性もさまざまある)。複雑な環境の中での支援は、マクドナルドでの調理や接客のようにはいかない。
 そんなわけで、結局のところ「ケース検討を大事にしよう」という結論でミーティングの夜は更けていったのだった。個人的な思いを言えば、ヘルパーの各自が具体的な経験を抽象的な議論へと展開していける力を身につけられるようにしたいし、それでこそ一見バラバラに見える多様な支援が通約可能なものとして理解されるはずだと信じている。でも、それはヘルパーが具体的な経験と相互対話を数多く積み重ねてからでないと、うまくいかないだろう。ここは長い目で見るつもり。