泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

読了

 エスピン・アンデルセン積ん読状態になっている自分にとっては、福祉国家類型などの説明はとてもわかりやすかった。この後『福祉資本主義の三つの世界』を読むのに、いい準備ができたのかもしれない。
 低所得者への対応に追われた時代の社会福祉観に基づくと、ソーシャルワークの対応するような福祉ニーズや介護ニーズなどを社会福祉のカテゴリーに収めにくい。ところが実態として、これらは「社会福祉の問題」として理解されている。すると現代において〈社会福祉/非-社会福祉〉の線引きは恣意的になされうる*1
 しかし、近代化を「単純な近代化」と「反省的(再帰的)近代化」の2つの段階に分けることで、多様化する生活問題とそれらへの対応を近代化の所産としてまとめて整理することができる。本書では、高齢化の問題ばかり扱われているが、家族や地域社会の機能の弱体化に伴う問題は他にも山ほど考えうるわけで、もっと拡大することも可能だろう。機能分化していく社会の中で「福祉」が担うべき機能について検討するのは、社会学に強みを感じる。
 社会福祉研究者は、大部分がミクロ研究かマクロ研究のいずれかに分かれる。ミクロ研究派は政策を与件としながら「制度がどうあれ、目の前にあるニーズに応じなければ」と考えるだろうから、それほど本書には関心をもたないだろう*2
 一方で、マクロ研究派にとってみれば、本書の内容はどうだろうか。注目したいのは、筆者が好んで用いる機能主義の枠組みである。機能主義的な説明はもう社会学では過去のものとして流行らなくなっているのかもしれないが、社会福祉研究者による政策研究においては過去に流行ったことも批判的に乗り越えられたこともないのではないか。この枠組みで福祉国家を論じる人が多くなったら面白い(たぶんあまり期待はできない)。

*1:余談になるが、NPO法における活動分野として「福祉・医療・保健」以外に「人権の擁護・平和の増進」「子どもの健全育成」「男女共同参画社会の形成促進」などがある。しかし、「福祉」とこれらを分ける根拠は全くはっきりしない。おそらく感覚的なものである。

*2:社会福祉学における「政策」と「技術」の二分法は時代遅れだとか、もう終わったとか言われるが、研究対象の設定という点で言えば、ほとんどの大学院生はどちらかに分かれている。というか、分かれなければ研究が難しい。