泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

多義性

 ガイドヘルプの利用と法人の現況について、親の会で話す。
 ほんの数十分の話だが、聞き手によってさまざまな解釈がなされたようで、後になっていろいろと言われ、どっと疲れが出る。よくあることと言えばよくあることだが、こうも人によって理解の仕方に違いがあるものかと。
 単に言葉の意味が理解されないとか、話が難しいとかいう次元ではなくて、それぞれの置かれている立場、話を聞く文脈によってポジティブに受け取られたり、ネガティブに受け取られたりする。こういう事態は、言語論とか勉強していたら、もっとうまく説明できるのだろう。日常的には話し相手に合わせて伝え方をかなり変えているつもりだけれど、集団の前で話すときはそれにも限界がある。全体に同じように伝わる話をするのは難しい(たぶん厳密には不可能だろう)。ただ、強調点を間違えたようにも思えており、激しく反省中。いくら言葉の解釈が多様だといっても、何を一番伝えたいか、はもっと工夫できたはずだった。
 直接的に経営に関わっているものが、こんな経営状況の厳しい時期に下手に利用者の前に出て行くものではないのかもしれない。いわゆる相談援助やグループワークの場でもないので、支援者として話すというよりも、経営者として話すようになってしまう(自制しろと言われれば、それまでだけれど)。金の話があまり前に出てしまうと、誤解もされやすい。そうはいっても、職員2名だし、どうしたものか。