泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

介護給付の自己負担について

 数日前にこの日記で取り上げたことのもう少し具体的な説明が、全国障害者介護制度情報のホームページに出ていた。
 http://kaigoseido.exblog.jp/1544472
 正直を言うと、誰がどのくらいの得をするのか、いまひとつよくわからない。障害者控除による経済的負担の軽減度についてよくわかっていないからだろう。この記事を見ても、やっぱりぴんとこない。
 いずれにせよ、うちの利用者に関して言えばほとんど児童なので、この話は関係が出てきそうにない。所得が低いけれど生活保護の受給まではいかない世帯で、サービス利用の多いところは、1月からかなりの負担増になるはずなのだけれど、児童については議論の余地なしなのだろうか。
 児童のサービス利用にかかる自己負担は、しばしば塾や習い事の費用負担と対比され、「子どもを塾や習い事に通わせることを考えると安いもの」と言われたりもする。たしかに教育費のように障害をもったがゆえに経済的負担をせずにすんだ部分というのもあるだろう。一方で、社会保障審議会(?)の福島智発言に倣うように、出かけるために費用負担が求められるのは、子どもであっても理屈に合わないと考える人もいる。障害をもつ子どもの生活には、サービス利用以外の部分で発生する費用だってある。家にディズニーのビデオライブラリーができている家だって少なくない*1
 自己負担の問題は、所得保障の問題としばしばセットにされる。自己負担を求めるなら、所得保障を充実させるべきだ、というように。所得保障制度は、障害に伴うさまざまな費用負担を想定してできているはずだけれど、医療費等はともかく、生活のこまごまとした部分で生じてくる負担はかなり計測が難しいはずだ。算出の根拠について、一度はきちんと調べてみたい。

*1:この書き方では、とうてい一般の人にはわかってもらえないかもしれない。ある種の障害に伴うこだわりや「楽しめること」の限定性、による負担とでも言えばよいだろうか。