泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

国家の責任

 昼間っからテレビを見ていると「従軍慰安婦」への国家賠償の是非について議論されていた(残念ながら、全国ネットではない)。出演者の田嶋陽子さんいわく「この番組って、右翼ばっかり」だそうで、大半の「賠償すべきでない派」が「賠償すべき派」を責め立てる構図になっていた。番組としては、価値ある企画だったと思うのだけれど、論点はとっ散らかってしまった。視聴率をとろうと思えば、ときに冷静さを欠く議論も必要なのだろうし、テレビの宿命だろうか。その点では「朝まで生テレビ」とも似ている。
 慰安所に国家がどのように「関与」していたか、は実証的な調査に基づいて明らかにするほかない。その内容に合意が得られれば、次はどういった「関与」ならば、国家の「賠償責任」が発生すると考えるのか、についての検討が必要になる。責任はいくらだって遡及して追求できるだろうから、こちらは簡単に結論を出せる問題でもないだろう。しかし、行為と責任の関係に関する論点はもっとわかりやすく提示できたはずだ。
 司会はなんとか舵取りをしようとしていたけれど、十分には制御できていなかった。もうちょっと議論の進め方を工夫しないと、お互いを罵倒しあう画ばかりが目立ち、出演者がまず自分の立場ありきで持論を押し通そうとしている印象ばかり受けてしまう。以前は、南京大虐殺についても取り上げた勇気ある番組だが、視聴した後の感触はいつもあまり良くない。