泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

再読の効用

 本をぱらぱらと読み返していたら、以前より理解度(というか納得度)が上がっていることに気づく。NPO会計に関する本と、学童保育所での障害児の受け入れに関する本だ。どちらも2年ほど前に購入して一度だけ読んだ。
 事業者としての成長とは違って、自分個人としての成長が実感できる機会というのは、それほど多くない。試験の点数や偏差値のように数値化された指標があるわけでもない。以前できなかったことができるようになる、というのは成長のように思えるが、事務的なことはともかく、援助技術のレベルとなると自分が成長したのか、それとも周囲の環境が変わったのか、定かでない。職場内でスーパービジョンがあったとしても(ないけど)、他者からの評価を信じるか信じないかも自分次第だ。しかし、書かれたものを読んだときの納得度があがっている理由は、自分の成長以外にない。
 金子郁容の『ボランティア もう一つの情報社会』を大学1回生のときに読んで、あまり意味もわからないまま「著者は現場がわかってない」などと思っていた。しかし、4回生になって読み返したら、「わかってなかったのは自分でした。すいません」と思うしかなかった。思い返せば、そんな経験は多い。
 本を再読したとき「わからなかったことがわかる」場合と「わかったとおもっていたことが、実はわかっていなかった、ということがわかる」場合の2つがあるように思う。あるいは「以前とは違うわかり方をする」ということもあるか。いずれにせよ、再読することの効用をひさびさに味わえた。休みのない毎日が続いているが、明日もがんばろう。