泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

卒業

 今日は、養護学校の卒業生を祝う集まり。簡単な司会などする。
 卒業生の家族などからよく聞かれるのは、「養護学校にいる間は守られていた」という話である。昔と比べれば、ずいぶん状況は変わってきたと思う。それでも、福祉施策と教育施策では「安定感」が違う。仮に日中活動の場所に無事通えるようになったとしても、生活全般にわたって十分な支援が受けられるかどうかは、さまざまな条件に左右される。同じ法人で相談支援や居宅支援も行っているか。職員の配置に余裕はあるか。ケアマネジメントのような仕組みがない以上、それに替わる社会資源がなければ、生活全体を形づくっていく努力は大きく家族に課されることになる(だからといって、自分はケアマネジメントの導入賛成派というわけではない)。
 養護学校もいろいろだろうが、うちの地元の学校は確実に多機能化している。学校教員だから教育だけやっているなんてとても言えない。来週には、教員がケアマネジメントの研修を受ける予定まである。福祉資源(とりわけ相談支援)の不足を、教育資源がカバーしていた部分があったとすれば、その支援を受けていた子どもたちは卒業後どうなるのだろう。
 まだ書き足りないが、今日は疲れた。明日の朝も早いし、寝よう。