泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

フリーライダー?

 支援を受ける側にはさまざまな事情があるわけで、その理由について基本的に事業者はあれこれ問うべきではない、と思っている。自分のところについては、今のところそれで大きな問題が生じたことはない。それでも今後は、どうだかわからない。
 ここ数年、近隣で見聞きした範囲では、サービスを「先にたくさん使った者勝ち」の傾向が強く出始めているように思うからだ。事業者の需給調整能力には限界もあるから、特定の利用者がたくさん使うと、そのしわ寄せとしてサービスを利用できなくなる人も出てくる。支援をしたぶんだけの支援費はついてくるのだから、これを事業者の調整能力の問題と言ってしまえば簡単だ。しかし、現実にはその特定の利用者も事業者も批判を浴びやすい。
 特定の利用者がフリーライドしている、というのはきっと正確でない。今のところ利用者負担もあるし、そもそも福祉サービスを公共財とみなすには、「競合性」も「排除性」も高い。にもかかわらず、「ただ乗り」感があるのは、この業界においてサービス利用者と事業者が一種の協力関係にある、ということが多いからではないか。当事者が立ち上げた事業者も多いし、「あの事業者は苦しい中、一生懸命やっているのだから、あまり無理な要求はしないようにしよう」という暗黙の了解が、サービスを使う側に自主的に利用抑制をかけさせるケースもよく見られる。
 良くも悪くもこれで丸くおさまるのは、利用者集団と事業者の間でそのような「合意」が成り立っている場合である。とりわけ利用者がきっちりと「組織化」されており、利用者と事業者の間、あるいは利用者間でお互いの置かれた状況がよくわかっていると、全体の需給バランスは崩れにくい。しかし、今や利用者のライフスタイルも多様化して、組織化はどんどん難しくなっている。すると、単純に「消費者」として、サービスを使いたいだけ使う人も増える。制度的に使えるものを使わない手はないのだから責められるべきことでもないが、残念なことに供給が追いつかないために、評判が悪くなってしまう。
 事業者から利用者への説明責任というのは、ずいぶん強調されるようになってきたけれど、このような状況下では、それも徹底しないと、サービス利用格差を拡大することにもなりかねない。これは、自分への戒めとして書いた。

(追記)
 なんて書いてみたものの、これは全国的に当てはまる動向なんだろうか・・・? 地域格差も大きくなっているし、実はあんまり自信はない。