泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

一切皆苦

皆に読んでもらえるものを書きたい。けれども、自分に可能な限りの努力をしながら、なおも責められ叱られ、心身の余力がない。

日々の仕事へのモチベーションさえ減退していく。誰もやりたがらないことだけ自分の仕事。地域でも、組織でも。にも関わらず、叩かれる。すべきことができていない、偉そうに福祉を語るなと。

眠いのに、眠れない。罵倒と詰問のメール文面がずっと脳裏に焼き付いて離れない。床のなかでブログを更新して気を紛らわす。

限界まで眠くなれば、必ず眠れるときは来る、はず。

「ボーダー児」と親の孤独を描いたマンガを読んで

 偶然に書店で見つけた沖田×華の新作。ノンフィクションコミックエッセイ。原作者である君影草さんが、本作に登場する子どもの母親である。ちなみに、原作は『はざまのセイカツ』というタイトルで、ウェブ上に公開されているマンガ。メジャーなマンガ家が描き直す「ワンパンマン方式」とでも言おうか。
 障害児の子育てについて親の目線で描いたマンガはこれまでにもいくつかあったと思うが、いわゆる「ボーダー」の子ども(と親)の苦難を描いたものは読んだことがなかった。医学的な診断としては「障害」とみなされないが、学校生活や社会生活上でうまくやっていけない人はたくさんいて、その人たちは境界線上にいるという意味でしばしば「ボーダー」などと呼ばれる。
 障害に限らず「どっちつかずである」という状態は、社会制度の隙間に落ちやすい。あらゆる支援の受給要件なんて「必要かどうか」で決めればよいはずなのに、標準化しようとして支援の必要度とは別の基準を設けた結果、「ひどく困っているとみんなわかっているのに、何も対応されない」という事態が生じる。制度的なネグレクトと呼んでもよいだろう。本作では、このネグレクト状態に母親がひとりで立ち向かっていく様子が描かれている。
 最も多くのページが割かれているのは中学への就学問題だった。普通学級での学習が難しいのに、IQが高いために療育手帳(東京都は「愛の手帳」)が取得できず、特別支援教育の対象として認めてもらえない。小学校からは手帳をとってくるように急かされるが、検査を受けても手帳は出ない(広汎性発達障害の診断は受けられている)。担任や管理職から転校を勧められたり、行ける中学校がないからと専修学校フリースクールを探したりする。このプロセスにほとんど「支援者」と呼べる者は出てこない。一方で、この種のストーリーにはおなじみの「クラス運営にとって邪魔な子どもを積極的に排除したがる、すがすがしいくらいのクズ教員」は出てくる。
 おそらく就学の仕組みや運用に地域差はあるのだろう。このマンガに描かれている状況は、かなり異様である。そもそも「手帳を持たなければ、特別支援学級や特別支援学校に行けない」なんてことはない。療育手帳に「知的障害」の有無を決めるような効力はなく(そもそも子どもに手帳をとらせたくないと考える保護者もたくさんいる)、知的な発達の遅れや偏りから普通学級での学習に困難があれば、特別支援教育は受けられる。が、少なくとも、原作者が経験したのは「手帳がなければ、中学では普通学級にいるしかなく、サポートも受けられない」というよくわからないルール運用だったようだ。こうしたローカルルールのようなものは本当におそろしく、保護者や教員個人が抗うのは難しい。
 中学校への特別支援学級進学にあたっては、中学校に「嘆願書」を出すことを教育委員会が保護者に助言している(そして、この嘆願は成功する)。これは「それぞれの学校が子どもの就学について教育委員会よりも権限をもっている」ということを意味する。そんなバカな話があろうか。各中学校が支援学級での受け入れ(や普通学級でのサポート)を拒否したら、実質的にどこにも通えず、教育委員会も親といっしょに残念がって終わりなのだろうか。教育行政としての存在価値を自ら放棄している。
 障害者差別解消法も施行されていくし、ここで描かれているような事態はおそらく解消されやすくなると信じたいのだが、自分の立場から気になるのは「これほど苦しんでいるプロセスを併走する支援者が誰も出てこない」ことだ。地域の学校で必要な支援を受けながら学んでいくことが当たり前である、という価値観が教育制度に組み込まれていっても、それを実現するために学校が動こうとしないときに、親はたったひとりで強大な学校組織、教育委員会に立ち向かっていかねばならない。
 相手が「障害福祉サービス」であれば、ひどい事業所があれば、契約解除してもよいし、相談支援事業所や福祉行政にタレこんでもいいし、都道府県社協にある運営適正化委員会に苦情を入れてもよい。社会資源の少ない中だと支援者の優位性は揺らがないかもしれないが、苦境から抜け出すための選択肢はいくつかあると言える。
 しかし、子どもを通わせている学校とのあいだで親が行き詰ったときの仕組みは何もない。この深刻さに教育制度(福祉制度でもよいけど)がどう取り組んでいくのか、が問われている(「障害」「ボーダー」に限らず、「不登校」「いじめ」などについても同様の指摘はできるだろう)。「スクールソーシャルワーカー」に期待したい気もするが、今の配置状況や身分を考えると、まだまだ現状は厳しい。学校の中に所属しながら、どこまでの動きができるか、という課題も残る。
 「ボーダー」の子どもは成長とともに、また違った問題が生じてくるだろう。ここで描かれたのは中学校までだ。あとがきによれば「今回のマンガの続きはこの本が売れたらまた沖田さんが描いてくれるとのこと」らしい。「ボーダー」で悩む人たちや学校との関係で苦しむ人たちの共感を呼び、続編が出版されることにも期待したい。

この国の発達のアセスメントはどこに向かうのだろう

 放課後等デイサービスのガイドラインで(「たとえば」と)推奨されているアセスメントツール「Vineland-2*1」を取り寄せてみる。これまで心理士に求められて購入してきた検査キットと比べれば、ずいぶん安い。保護者への半構造化面接によるので、マニュアルと用紙だけのもの。
 それでもマニュアルにはやっぱり「大学院で心理学を学んだ者が使うべき」という文言(「ソーシャルワークの大学院」も書かれていたが、心理色の薄い日本の福祉系大学院がこれに相当するとは言えないだろう)。もう見飽きた感がある。
 保護者からの面接で行うアセスメントすらも制限されるのか…。もちろんこれは翻訳なので、日本語版の内容について何を言っても仕方がない。素人による取り扱いが危険なのもわかる。ただ、日本の児童発達心理業界の皆さんにお聞きしたいのは、この国の障害児支援業界の現状を見て、いったいどのようにアセスメントの能力を底上げしていきたいと考えているのか、ということである。4年制大学の福祉系学部を出ても発達についての学習ほとんどゼロの福祉職ばかりで、続々と異業種からの参入や転職も増えていく業界で。
 高いスキルが求められるのは理解できるけれど、それならば現場の支援者がもっと力を高めていけるように研修機会を増やすとか、やるべきことがあるだろうに、ほとんどない。障害者福祉業界との接点を深めていこうという動きも見えない。「検査は心理士でなければ無理」と言って、今さら大学院に行けるはずもない多くの支援者を心理士に従えさせたいのだろうか。臨床心理士は累計でも3万人程度。障害児の放課後等デイは6000か所以上まで増加。どう考えたって、院卒の心理士がこれから現場にあふれていくとは思えない(給料も安いし)。
 公認心理師法の今後にも左右されるとはいえ、心理士はこれまで国家資格でなかったこともあり、福祉事業の中では明確な位置づけがなかった。児童発達支援事業であれ、放課後等デイサービスであれ、人員配置の要件などからすれば、心理士よりも社会福祉士介護福祉士のほうがずっと扱いは上である。障害福祉分野での従業歴をもたない人も多いので、管理責任者などのポストにつかせるまでにも長い時間を要することになり、その点でも雇いにくい(特に小さな事業所では)。
 日米で専門職の養成状況も福祉事業の制度化も大きく異なるのに、「検査」は担い手まで含めてがっつり標準化志向であるというのは無理がありすぎるのではないだろうか。もっと簡易な評価ツールでも活用していく習慣を現場に広めないと、障害児支援業界は発達を見る目が養えないと思う。検査に親しむというのは、子どもの育ちを分析的に見られるようになることでもあるわけで。フォーマルな評価を現場にとって縁のないものにしてしまうと、国が望んでいるような質の向上は期待できないのではないか。
 「発達」の自習に、いいかげんうんざり。

*1:本当はローマ数字

分かち合える「親の会」の新鮮さ

 不登校の子どもたちの親の会をはじめた。まだまだ緩いメンバーシップなので、元不登校とか不登校予備軍とかいろいろ混ざっているが、とにかくはじめた。
 障害児の親の会とは各地で20年ほど関わってきたが、それらはみんな「事業」とともにあった。子どもたちの活動を作り、どこかから資金を引っ張ってくるために組織を作る必要があり、そうしてできた親の会は次第に「支えあい」「分かち合い」から逸れていく。親にしかできないことを絶えずアップデートして事業化できればよいのだろう。しかし「先輩から引き継がれたもの」を更新していくのは、普通の親になかなかできることじゃない。それは「伝統行事」みたいなものだ。受け継がれてきた伝統には逆らえない。
 不登校の子どもたちの親の会は、今のところ完全に分かち合いの場としてある。子が学校に通えなくなるまでの経緯、子どもの行動の変化、学校に対する親の思いなど、静かに熱く語られていく。皆が相互に耳を傾け、尊重しあえる空間が心地よい。話を聞くトレーニングをある程度積んできた参加者がいることも効いている。
 親どうしの話は、そのうちに「支援」論にも近づいていく。学校に行けたことを親が大喜びすれば、行けなくなったときに子は期待を裏切ったと落胆するだろう。「できる」ことに価値を置きつつ、「できる」ことを単純に褒めればよいというのでもない。心のままに直感のままに行う子育ての限界。子の思いへの想像力を深めていくことの大切さ。少しずつ家から出ていくためのステップアップ。皆がこのような壁にぶつかって超える経験を積めれば、親の中には良い支援者が育ちそうな気がする。もちろんそんなふうに育つ必要もないのだけれど。
 子どもとの関わりを省みるのは障害児の親だって同じかもしれない。しかし、障害とはある種の文化や行動様式の違いとして捉えなければ、意味がわからないことがある(知的障害や発達障害においては)。不登校の場合、子どもへの共感的な理解によらなければ安定した親子関係を築けないし、学校に行けていないだけに今の状態の責任は容易に家庭の中へと押し込められて、うまくいかなかった責任が親にすべて降りかかってきてしまう。きっかけは学校に置けたとしても、時間が経つにつれて他の誰のせいとも言えなくなっていく、という怖さ。
 そして、子どもが学校に通えなくなった親は、社会観や学校観の大転換を経験することになる。多数派として適応できていたときは「泣き言」のように聞こえていたことが、不登校になるとどうしようもないことであると理解される。集団をひとつにしようと熱意あふれる教員が、はみ出し者には冷淡であることに気づく。職員室は子にとってだけでなく親にとっても近寄りがたい場に変わる。
 「障害」より「不登校」は突然に訪れやすく、既存の社会や学校のありようをうまく問い直せなければ、結果として子どもに寄り添うことも難しい。そして、見方を変えられればそれだけで生きやすくなるわけでもなく、子どもを肯定的に見やすくなる反面で世間の多数派の親たちのと隔たりは大きくなり、孤独感を強めることにもなる。障害児の親でもやはり同じようなことは言えるけれど、子が「学校に通えていない」というのは「障害」以上に「解決」がありうる課題とされるので、親としてのもどかしさや自責の念も強まりやすい。分かち合う場の重みをいっそう感じる。
 不登校はずっと続くかもしれないし、続かないかもしれない。これから親たちの集まりがどんなふうに移ろっていくのか。学ばされることがとても多そう。

尊敬する人たちしか来ない

 2月20日に奈良で行われるフォーラムの案内を受け取った。自分が一方的に師と仰ぎ、とてもお世話になった方の実践や思想を皆で思い返すような企画でもあるようだ。素晴らしい顔ぶれ。障害福祉について話しながら、決してそこにはとどまらない展開があるのだろう。
暮らしネットフォーラム 廣瀬明彦氏を囲んで.pdf 直
 おそらく総合支援法や差別解消法がどうのこうのといった法制度の解説がなされることはない。障害者への支援技法が論じられることもない。朝から晩までずっと「支援とはいかにあるべきか」という議論が繰り広げられると想像できる。眼前の人への対応に追われる支援者と、時代の一歩先を見据えたい経営者ばかりの障害者支援業界。数十年前も数十年後も変わらずに大切なものだけを考えることに没頭できる一日。今こんな企画が他にあるだろうか。
 自分も申し込むつもり。少しでも多くの人にこの企画が届きますように。大いに拡散希望

メッタ刺し

苦しいだけの交渉終了。
組織の身の丈にあった雇用と賃金があり、貧しい組織の苦労などわからない人には何を話したところでわからないし、わかろうともしない。
自分にとって有利な条件を引き出せる話だけメモをとり、都合の悪い話はすべて聞き流す。洗いざらい話しているが、まだどこかから金は出てくるはずだと思われているのか。ひたすらつらい。
「お前は何もできていない、してくれない」と冷たい目で責められ続ける。こちら側には他に誰もいない。すべてひとりで受けとめ続ける。上にも下にもこの苦しさを共有できる者はいない小さな組織。苛立ちと失望をぶつけられながら、ただ謝る以外にない。
しばらくは精神的なダメージを引きずるだろう。研修講師が入っているのがきつい。声が張れる気がしない。