泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「適応」を目標にしてはならない

 ケース会議の論点が見えない状況にもやもやしながら、なぜこうなってしまっているのかと考える。
 報告をまとめようと書き始めて気づく。やはり文章は自分をごまかせない。
 問題点をみんながオブラートに包んで述べる。それがのらりくらりとかわされる。今はもううまくいっているのだと。トラブルは起きていないと。
 実際にトラブルが起きていないかどうかはわからない。直接その場にいられるわけでもない。本当なのか嘘をついていないかと問いただすわけにもいかない。みんな何も言えなくなる。
 環境を何も変えてはいないのだそうな。だとしたら、我慢するようになったのかもしれない。あるいは「あきらめた」のかもしれない。どんなに荒れても結果が変わらないという悲しい学び。
 「我慢している」ことの証明はいかに可能か。我慢できなくなったときに、はじめてわかる「これまでずっと我慢していた」こと。支援は後手後手にまわる。対応が遅れるうちに、あきらめてしまうこともありうる。
 すると傍目には「適応」できているように見える。とにかく「その場にいられている」のだから問題ない、とされる。周囲が一番困るのは「その場にいられない」ことだから。学校に通えない。作業所に通えない。
 「その場にいられる」というだけの適応。その程度のことを目標にできるはずがないのに、問題化のきっかけが「その場にいられない」だからこそ、目標を誤る。支援計画はどこにいった。
 会議中に気づけば、もう少し展開は変わったのかもしれない……。