泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

やっと一段落

 ずっと気にかかっていた助成事業(改修工事)の監査が終了。
 500万にも満たないぐらいの金額ではあったけれど、貴重なお金だった。良い場所に良いハードを造るのに、ありがたく使わせていただいた。頂いた金額でどうやら確定である。ありがとう、競艇
 物件探しをはじめてから3年くらいが経ったろうか。長かった。本当に長かった。
 既存の場所は貸借期間切れとなり、迫る時間との戦い。見つかった空きビルの改修費は当初見積が3000万超。削れるところを限界まで削る。そのあいだにも近隣自治体には続々と事業所が生まれ、送迎サービスを売りにする中で、人々の地元地域へのこだわりは薄れていく。制度的には規制緩和が進んでいるから、特定の事業所だけ肩入れできないと行政からは何も金銭的な援助は得られない。やっとの思いで助成金が認められるものの、査定基準によって希望額の半分以下。地元で寄付を募るも、思ったほどには伸びない。古くからの付き合いのある方々がご協力くださり、目標額の8割達成。役員からの借り入れと寄付でどうにか工事費を捻出。
 紹介を受けて契約した(せざるをえなかった)設計士が想像以上にいい加減で、施設が使いにくいものになる危機が何度もあり、建築基準法を自分で調べて激怒したことも。競争入札で落札された工事業者も地元で一番の評定値とは思えないいい加減さで、近隣からクレームは受けるし、監査に必要とされる書類は何度も催促しないと出てこないし、壁紙は貼り間違えるし、貸したカギは無くすし、田舎の業者の大ざっぱさに苦しめられるばかりだった。最後の最後には建築行政から「3か所のドアの開口部が2ミリ足らない」という嫌がらせ同前のダメ出し。開所直前までの微調整。建物が大きいために防火管理者を置く必要が出てしまい、防火管理者の資格も自分で取得。
 開所して、半年経った。そこそこ良いハードができたと思うが、ソフトはまだ追いついておらず、むしろハードに甘えている状態とも言える。もし、そこらのテナントビルの一室を借りてクロスを張り替えただけみたいな事業所だったら、もっとトラブルが頻発しているだろう。広くて、小部屋に多く分かれているから、子どもたちはあまり衝突しない。それがかえってスタッフの成長を妨げている気もする。
 それでも、今後の展開にはさまざまな期待ができる。ひとり親家庭の支援にも少し使い始められた。子育て支援と障害児支援のあいだにはっきりと線を引かない支援を志向しているので、それはやりやすくなった。学生スタッフが20人くらいでミーティングできるようにもなった。そこだけエアコンないけど。
 これで一段落。いま情緒的には珍しく安定している。この3年ほどのあいだにも法人組織はどんどん大きくなり、業務量も増えるばかりで、多くのほころびが生まれている。ようやくそれらに向き合う時間ができるだろう、と期待しているが、そうこうしているうちに子どもたちの夏休みが間近に迫っており、精神力ばかりでなく体力との戦いだ。