泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

39歳

 日付が変わり、嫌な年齢になった。
 10代の終わり頃には、30歳まで生きている自分さえ想像できなかった。なんとなくどこかで死ぬのだろうと思っていた。それが40歳まであと1年。
 ダメな大人のまま、ここまで運よく生きてこられたのは、周囲に恵まれたからである。そして、周囲に恵まれたのは、20代の頃、ダメな大人なりに目一杯もがいたからだ。「ダメなやつだが、がんばっている」という評価が、周囲を動かすことはある。
 しかし、それがずっと続く保証はない。おっさんは心身の衰えが進む中で、確たる成果を求められる。ひとりでできることはたかが知れてる。周囲に愛想をつかされれば、終わり。
 気がつけば、子どもの親たちは同世代になった。年下の支援者も増えた。自分との距離感も変わっていく。距離が近ければよい、ということばかりでもない。距離の近さに甘えてしまうのもよくない。
 今は亡き実践の師匠は、他人との関係で行き詰まって相談に行くと「若い」がゆえの難しさを話してくれた。自分のしんどさを誰のせいにもしないための答えだったのではないかとも思うけれど、実際に年齢を活かせることもあるのだろう。具体的なキャリアではなく、ただ年齢を。
 昔から付き合いのある人との関係はなかなか変わらない。学生時代から関わっている保護者からは今でも「くん」付けで呼ばれ、互いに気安く話せる。絶えず相手が入れ替わってゆく子どもの支援のほうが、自分の社会的位置の移り変わりを自覚させられるのだろう。
 眠いのに眠れない最近。今日は力を尽くして頑張ったという実感だけが、眠ることを許してくれる。今日はあまり頑張れなかった。こんな記事を書いているのは、そのためかもしれない。