泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ブログ10周年

 ブログを開設してどのぐらい経つだろうと思ったのは、ほんの1週間ほど前だった。確認すると、2005年3月10日が最初の記事。
 もともとこのブログは大学院を休学することにしたとき、言語化する習慣が無くなってしまうのをおそれて始めたものだった。当時は28歳。しばらくは毎日更新にこだわったりもしていた。書かなければ、と思うと、いろいろその日のことを振り返る。開設して、正解だった。大学院は中退したが、未練がないわけではない。研究職がどうこうと言うより、研究成果を形としてまとめられなかったことには悔しさがある。
 法人はできていたが、まだ子育てひろばも療育も放課後デイもやっていなかった。子どもの外出支援を毎日のようにやっていたり、学生たちがたくさん出入りしているところはずっと変わらない。あの頃はたくさんの子どもたちの「違うところ」よりも「同じところ」のほうに意識を強く向けていたような気がする。最近は「バランス」という言葉をよく使うようになったし、新しい事業所にも「バランス」にちなんだ名前をつけた。偏りのない支援を志向しているつもりだが、ときにバランスを欠かないと物事は動かないとも知っている。
 職員も結婚したり、出産したりした。ずいぶん人を雇ったが、正職員がひとりも辞めずに仕事を続けられているのは、よかった。男性の正職員が自分以外に一人もいないのは、今後に不安を残している。マネジメントのことを考えようとする職員は増やせなかった。
 周辺の法人では中堅どころの職員がたくさん辞めていった。実践の師と仰いだ人は、闘病の末に亡くなった。子どもの家族も何人か亡くなった。子どもの人生からも、支援者の人生からも学べた。
 いつまで続けられるかわからないけれど、発信の大事さは10年前より増したと思う。適切な情報を得られずに振り回される保護者を見る機会が多くなっている。匿名で書いているブログではあるが、どこかの誰かに届くと信じて、更新をがんばりたい。