泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

子どもがいなくなった後の親の支援

 年末に亡くなった子の保護者に偶然会う。
 相手がこちらに気づくまでの様子がどうにも元気がなく見えてしまった。気づいてからは、いつもの元気なお母さんだったけれど。相手は信号待ちの車の中だったので、やりとりができたのは一瞬だけ。新事業所に併設されたカフェを宣伝して招くのが、せめてものできたこと。
 子どもを通じて出会えた人は、子どもがいなくなると、どんなふうにまた出会えばいいかわからなくなる。
 うちはあまり「障害福祉サービス事業所」らしくない事業所なので、唐突に理由もなく連絡とったりしてもたぶんさほど違和感ないのだろうけれど、どんなふうに話ができるだろうか、という不安もある。何しろ自分のベースがコミュ障なので、子どもの話を抜きにすると、自然に話せる自信がない。子どものことをまた想うことが大事なときもあるだろうが、そうでないときもあるだろう。そんなタイミングもよくわからない。
 でも、このままなんとなく連絡がとれなくなるとしたら、これまでの関係性までも自己否定するようなものだとも思う。
 ただ出会った人に支援が必要だったから支援をはじめた。相手が元気でいられることが大事だった。家族の状況がどう変わろうとも、その基本が変わるわけではない。
 自分たちは子どもを通じて親が元気になるとか、親どうしがつながって元気になる、ということばかり考えてきた(あるいは、子どもから離れてリフレッシュするとか)。多くの「障害児の親」支援について言えることだろう。
 親の「元気がない」「疲れている」理由として、あらかじめ「子ども」が前提とされる障害児支援。しかし、親はまた子の存在に支えられてもいるし、親もまたひとりの人間として、子どもと離れたところで営んでいく生がある。それは私的な領域のようで、種々の関係性から完全に独立した領域としてあるわけでもない。だから、支援者は近づくのに躊躇するが、近づいたほうがよいのではないかと思えるときもある。そのタイミングの区別が難しい。
 また、相手に「障害児の親」というラベルを強く付与しすぎているのではないか、とも省みる。大事な子どもを失ったことで喪失感を強く感じているはずであるとか、地域社会の中での役割があればどうだろうか、とか、余計なお世話であるかもしれないし、そうでないかもしれない。とにかく個別に状況を見ていかねば、わからない。
 世の中の「子どもの支援者」は、みんなこうしたときにどうしているのだろう。