泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

転ばぬ先に杖をつくには

 地域で昔から続いている行事に参加する。
 きっと多くの地域でまだ行われているであろう障害者向けイベント。行政が中心となって企画して、地域に暮らす障害児者や支援者が体育館とかに集まって、簡単なレクリエーションして、みたいな。
 しばらくぶりに出会った保護者がたくさんいて、じっくり話を聞く。みんな1年から数年くらい話す機会がなかった人たち。子どもはみんな成人している。ほとんどの生活が大きく変化していて、少し驚く。もちろん学齢児でも変化はあるが、これほどの割合にはならない。そして、どこもが必要な支援をうまく得られずに苦労している。
 障害をもつ本人が20代半ばから後半くらいになり、親自身が、あるいは祖父母が体や心を痛めていく。家族の中に元気な者がひとりぐらいはいるからどうにか保たれている生活状態。もうひとり倒れたらどうなるのかと思われる家ばかり。
 これほど厳しい状況にありながら、支援がもっと優先的に受けられている人たちもいるのだから、きっとさらに深刻な家庭がたくさんあるということなのだろう。「生きていれば、まだ頑張れるだろう」くらいのレベルの要求が、親たちに向けられているようにさえ感じる。
 昔から使い続けてきた通所先に何もかも期待したいが、そのような支援の拡充もかなわないことはわかっている親たち。それでも、ほとんどアクションは起こせぬままに時間が経ち、対応は後手後手にまわる。転ばぬ先に杖をつけない。
 信頼する支援者にしか任せられないが、何かあったときに信頼する支援者だけでは支えきれない。信頼できる相手を増やしていきたいとは言っても、比較すれば良いほうばかりが目につく。それもまた当然。
 支援者が「もっとあちこちを使え」と言うのは簡単だが、支援者にかつて期待を裏切られた経験がある親は多い。「任せて失敗したことがある」結果ならば、「思いきれ」とか「やってみなければわからない」とは軽々しく言えない。支援者の責任は未来の利用に向けても重いのだ。安心して委ねられる支援となるには、足らないものがまだ多すぎる障害者福祉。
 今の自分は児童の支援で目いっぱいだ。せめて、関係者が思い描く将来図を聞きたいが、地域全体のビジョンが見えない。