泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

誰か教科書を書いてください

臨床心理学第13巻第4号-特集 対人援助職の必須知識 発達障害のアセスメントを知る

臨床心理学第13巻第4号-特集 対人援助職の必須知識 発達障害のアセスメントを知る

小児内科 2013年 08月号 [雑誌]

小児内科 2013年 08月号 [雑誌]

発達障害者支援とアセスメントに関するガイドライン(アスぺ・エルデの会)
 うーん、やはり勉強がしづらい。
 もどかしさで少しイライラしてきた。過去にも同じようなことを書いた気がするけれど、定期的に主張して、どこかが良い教科書を出してくれることを期待してみようと思う。
 福祉職が「発達のアセスメント」について勉強しようと考えたときに、これほど手がかりの少ない状況が放置されていてよいのだろうか?
 障害児者と関わる福祉職は、大部分が「発達」について学んだことがない。「発達」なんて言葉さえ使わない支援現場も多いはずだ。その背景には自分たちが「保育」や「教育」ではない、という意識もあるかもしれない。また、この言葉が「個人的」なものを想起させて、社会的な支援の在り方を考えようとするときに邪魔になるような印象をもたれるのかもしれない。
 社会的な責任において、社会の中で個人を支えようとするときに「発達」が無関係であるなんてことはない。支援の必要な本人が「何をどのくらいまでできるか、わかっているか」を踏まえずに周囲が支援をしてしまうことがどのぐらい本人の負担を増やしてしまうのか。間違いなく学習が必要な領域だ。
 周囲からかけられる言葉がどのぐらいまでわかっているのか、どのぐらい自分の思いを周囲に伝えられているのか、どんなツールを使ってどんなふうに伝えられたらわかりやすいのか、この世界はどんなふうに意味づけられやすいのか、どんな刺激に快・不快を感じるのか。
 どれだけの熱意と理念をもって支援を行なっていても、暮らしの中でただ長く向き合うだけではわからないことがある。そもそも知的障害とか発達障害の支援というのは、目に見えない「障害」を相手にするものであって、何に本人が困っているのかが簡単にわかるくらいならば、家族も教員も支援者も苦労はしない。「勘と経験」に依存した支援の危うさはずいぶん強調されるようになってきたはずである。
 「本人ができるようにする」のではなく「本人ができる環境を整える」のが良いのだ、という考え方は確実にじわじわと浸透してきたと思う。この方向性をいっそう確かなものにしようとすれば、本人が何にどう困っているのか、を把握できなければいけない。
 本人が何にどう困っているのか、がわからない中で「障害特性」と「特性に応じた環境の整え方」の象徴的な例が広められると、表面的な形式だけを真似る人々がたくさん現れる(たとえば自閉症だから絵カードを使わなきゃ、とか、自閉症だからパーテーションを立てなきゃ、のように)。そして、それで失敗して「やっぱり『環境を整える』なんて甘やかしではダメなんだ」と言い始める。個に応じた適切な支援を広められるよう「発達」を学ばないと、時計の針を戻す勢力が影響を強めてしまう。
 それにも関わらず、である。発達のアセスメントについて書かれた本はどれを読んでもアセスメントツールの説明ばかり。「このアセスメントツールは、○○と○○について評価するものです」「こんな下位項目に分かれます」という話をいくら聞かされても、アセスメントツールひとつについて数ページで具体例もほとんどない解説では、何の役にも立てられない。
 そして、アセスメントツールは大部分が、大学院で心理学を勉強してきた者による活用を推奨。発達について福祉関係者が理解するのなんて無理だから、院卒で仕事のない心理職をもっと活用してください、という狙いがあるのではないかと邪推するほど(そのくせ公的機関や学校などで行われた発達検査は所見すら出されないことも多い)。
 日々の暮らしの中で、本人が何かに困っている(ことで周囲も困っている)ときに、それが例えば「自閉症の障害特性」によるものだ、ということは多くの福祉職にもわかるかもしれない。しかし、その解消のために必要な支援を個別に考えようとすると、どのぐらい環境の側の問題が本人を苦しめているのか、をはっきりさせなければならない。それをまさに本人を苦しめている環境の中だけで把握するのは難しい。そもそも日常的な環境は周囲に気づかれないところで本人の力を強めたり弱めたりしている。
 だから、異なる環境において発達をアセスメントする必要がある。ごちゃごちゃとした社会から相対的に離れた場において「個」をしっかり捉えることで、社会の中で生きていくにあたって社会の側に求められる支援が具体的にわかるのである。これは「社会モデル」の考え方と何ら相反するものでもあるまい。
 そんなわけで福祉職としては発達アセスメントの結果を現場で活かしたり、心理職が使うアセスメントツールほど体系立てられたものでなくても、本人との日々の関わりの中で発達の状況を把握できるようなやりとりを試みたりしたいのだが、まったくそのような意図をもった教科書のないまま「障害児支援」の事業所は数ばかり増えていく。心理職は「療育」はやりたがっても「福祉」はやりたがらない。
 「自閉症の○○くんは、その特性に基づく支援(構造化)をガイドヘルパーからこんなふうに受けていました」「でも、あるとき外出中にパニックを起こしてしまいました」「それは発達アセスメントの結果に基づくと、□□が考慮できてなかったからです」「検査所見のこの項目がこの行動と結びついています」「あらためて構造化をやりなおしたら、うまくいきました」みたいな事例を積み上げた教科書ほしい。
 あるいは保護者や支援者向けに「日常の中でつかむ発達」「おうちでアセスメント」みたいな教科書ほしい。
 もしそこで心理職が「発達のアセスメントとはそんな簡単なものではなく…」とか言うならば、たとえばTEACCHやABAの関係者が知識を「かみくだいて」普及させることにどれほど努力しているのかを少しは見習ったらどうかと反論したくなるのだが、どうだろうか。