泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

寄らば大樹の陰

 もしかしたら以前にも愚痴ったことがあるかもしれない。いや、あれはfacebookのほうだったか。障害児の年齢が上がれば上がるほど、就労の場や住まいの場など、みんなまとめて面倒をみてくれるような大法人へと親は集まっていく。
 むかし地元でそのような役割を果たしていた大法人は経営的な限界に達した。これ以上は大きくなれない、と。それから数年、親たちは隣町の大法人に進路先と一生の支援を求めていくようになった。
 おそらく大法人は生涯にわたる安心と引き換えに数百万を要求する。が、死ぬまで子どもの面倒をみてくれるとなれば、親は払う。子どもが幼いときから関係者に「お金をためておいたほうがいい」というアドバイスを受けたことのある保護者はたくさんいるだろう。数百万支払う親がほんの10人も集まれば、それを原資の一部として新たな施設を建てることも計画できる。社会福祉法人には国庫補助だってある。そうやってますます大きくなった法人は経営好調で、どんどん知名度を高め、信頼を得ていく。
 うちみたいな子ども支援中心のNPO法人が新規事業所を立ち上げるためにいくら頑張ったって、寄付金を数万円集めることさえ簡単ではない。ものすごく感謝の言葉もねぎらいの言葉もかけてもらえるし、この地域の中での存在感も価値も非常に大きいと確信しているが、金の話は別である。やっと見つけた建築物件の改修工事費を得るために民間助成金の申請準備にはげむ日々。しょせん18歳までの支援と思われているだろうか。
 しかし、金にならないことはやりたくない大法人は、週末の支援などしてくれない。いわゆる「地域生活支援」として重要なホームヘルプとかガイドヘルプとか一時支援とかやらない。調整コストがかかる事業を見事にすべてやらない。結局、何歳になっても、うちのようなところが担い続けることになる。金にならないことはずっと零細法人がやってくれればよいのだ。親は何が金になるとかならないとか知らないから、単なる役割分担にしか見えない。そして、地域資源は事業形態も経営状態も二極分化していく。
 みんなもっとうまく金を稼げばいいじゃないかと言われればその通り。どこも真面目なのだけれど、きっと金に対する貪欲さが足らない。事業の選び方も下手だし、「子どもを一生面倒みるから」と寄付金を100万単位で要求するような度胸をもっていない(そんな度胸が本当に重要であるのかどうかは知らない)。
 親はちゃんと支援の質だって見ていると言われれば、それもその通り。悪評ばかりのところにはさすがに子どもを委ねられない。個別にはいろいろな話を聞くが、全体としては及第点に達しているとみなせるのだろう。
 お前のところは就労や住まいの問題について取り組んでいく予定があるのかと言われれば、それも当面はないし、何を偉そうに言える立場でもない。「ここにずっと子どもを支援してほしい」「ここに大きく育ってほしい」と思わせるような圧倒的な質の高さを誇れる法人・事業所、増えゆく地域ニーズに対する責任を果たし続けようとする法人・事業所がちっとも出てこないことに、ただ苛立っているだけ。自分のところの定員が埋まってしまえば、もうそれで満足するところばかり。
 そして、就労のために大法人とのコネクションを作っておかなければ、という理由も含めて選ばれていく障害児支援の空しさ。