泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ある障害福祉制度をめぐる「政治」が問いかけるもの

 なんとかこの状況を世間にもわかりやすく伝えようと試みてみたい。以下で説明するのは、とある障害福祉制度をめぐる「政治」であるが、もう少し広い意味での「政治」や「運動」を考えるにあたっても、なかなか象徴的だと思う。
 つい数日前にリンク先にあるような検討会が開催された。

障害者の地域生活の推進に関する検討会(第2回)
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000014624.html

 行政がさまざまな「検討会」の場を設けて、そこに関係者を呼んでヒアリングをすることはまあよくある。障害者福祉業界でも同じである。ただ、この数年は少し事情が異なっていた。政権が2度も変わったためである。
 もともと障害者福祉の中で「政治」と結びついていたのは主に「入所施設」であり、「地域の中で障害者が暮らし続けるための支援(「地域生活支援」と呼ぶ)」に対して「政治」は熱心でなかった。
 古くから身体障害者の「自立生活運動」によって、地域の中で生き続けるための支援を拡充していく努力は続けられていた。そして、24時間の介護体制を確保して一人暮らしするような事例がわずかながらも少しずつ増えてきた。もちろん、全国どこでもそのようなサービス利用が容易に認められるようになるわけではない。議論が法廷に持ち込まれたり、全国各地での「運動」があったりしてのことである。それは「闘い」の歴史であったと言ってよい。
 自立生活を可能とする制度として最も重要なのは「重度訪問介護」と呼ばれるものである。これは重い身体障害をもつ人々を対象としたホームヘルプサービスで、非常に長い時間の利用が可能である。この「長い時間」というところがポイントであり、「短い時間」では単身生活などできない。単身生活ができなければ「入所施設」しかなくなる。
 一方で、知的障害者はと言えば、入所施設を中心に少しずつ「グループホーム」という仕組みに注目が集まるようになった。知的障害をもった人数名がいっしょに暮らし、そこに世話人と呼ばれる支援者が入るのだ。この仕組みは知的障害者の親たちに大きな期待を寄せられた。見知らぬ山奥の建物の中で自由のない単調な暮らしを送るのではなく、住み慣れた街の中にある住宅の中で生き続けることができる可能性。北欧では入所施設が解体されてグループホームが増えていった、という話も入ってくる。親たちは「親亡き後」の選択肢として魅力を感じた。
 「グループホーム」も少しずつ増えていったが、報酬は低く設定され、積極的な事業者ばかりではなかった。また、家族と暮らしながらでも支援は必要である。10年ほど前には「ガイドヘルプ」が国の制度として生まれ、爆発的に知的障害者の利用が伸びた。ヘルパーとともに行きたいところに行ける自由が認められたのである。
 ところが、開始から一年足らずで厚労省はこの制度の報酬を極端に切り下げようと動き、さらに国事業から市町村事業に移そうとした。理由には利用の急増もあったろうし、国は障害福祉介護保険といっしょにしたいと目論んでいたので、高齢者のサービスメニューにはない外出の支援を外してしまいたかったこともあるだろう。とにかく、ガイドヘルプは地方に多くの財源と制度設計を委ねるようになった。ここで知的障害者の地域生活支援を中心的に担う事業が市町村まかせになってしまうことに対して、支援者団体は新たな案を出した。「特に知的障害(正確には「行動障害」)が重い人たちに対する支援を国事業として残す」道を探ったのである。
 こうしてできた制度を「行動援護」と言う。これは「知的障害が重い人たちには高い専門性を有する支援が必要」という前提に立っているため、報酬が非常に高い一方で、支援者に求められる要件も高いものになっていた。利用時間も当初は5時間までで、それ以上は報酬として算定されなかった。
 この制度が生まれてくるあたりから知的障害者の支援団体や親団体は、政治家や官僚との関係を深めていったように思う。自民党の有力議員等との関わりを深め、厚労省財務省から予算を引っ張ってくるためにどのような方法を使うのがよいのかに心を配った。言わば「金を出してもらうための条件提示」である。全国的なイベントに与野党の議員を招き、自分たちの味方として評価することも忘れなかった。それが功を奏したのかどうかは自分のような末端の支援者には正確にはわからない。ただ、「行動援護」を受けられる利用者の幅は当初よりも少し広がったし、報酬算定も5時間から8時間まで伸びた。
 身体障害者が「闘い」の中で勝ち得てきた「重度訪問介護」と知的障害者の親および支援者が「政治」の中で勝ち得てきた「行動援護」。利用する人々も違えば、その支援機能も異なるわけだが、ここで政権交代が起き、民主党政権になる。
 民主党政権は既存の「障害者自立支援法」を廃止すると言い、「当事者から話を聞くぞ」と言い、「障がい者制度改革」を目指して、自民党政権よりも障害当事者から話を聞くことに努めた。すると、既存のさまざまな施策に対する不満がもちろん大噴出する。しかし、当初は明るい未来を感じさせた民主党も政権が続くうちにどんどんトーンダウンしていき、当事者たちから厳しい批判を浴びるようになっていった。最終的に多くの当事者や関係者の声を集めて作った報告書に対して、厚労省からの反応はほとんどゼロ回答というお寒い状況で、多くの失望を買った。結局、民主党政権のもとでも「自立支援法」はほとんど変えられなかったのだ。
 そんな中、唯一と言っていいほど上がった成果は「『重度訪問介護』を知的障害者精神障害者も利用できるようにしよう」という提案が認められたことだった。この提案の意味は「知的障害をもつ人々が地域でひとり暮らしできるようにしよう」である。身体障害者の支援をしている団体の中には、知的障害の人々の一人暮らしにも積極的に取り組もうとする団体もある。当事者の中にも一人暮らしがしたいという人はいる。そのためには、時間数の上限なく「見守り」も含めて知的障害者の支援をできる制度が必要だった。
 「重度訪問介護」と「行動援護」がそれぞれ生まれてきた経緯からして、自民党政権厚生労働省がこの動きに積極的になるとは思い難い。また、前述したような知的障害者の支援団体と親団体も「行動援護」と「グループホーム」を中心とした生活を描いているし、それを目指さなければ増大する支給量によって、かつて「ガイドヘルプ」でも見られたような「しっぺ返し」が来るのではないかと危惧しているだろう。「高い専門性が必要だから」と高い従業者要件を課して報酬単価を上げてこられた「行動援護」があったところに、「当事者がそれでいいと言えばいいじゃないか」と従業者の要件を低めに保つ代わりに報酬も低い「重度訪問介護」が入ってくる。当然、うまく折り合いがつくはずがない。
 上のリンク先では、民主党政権のもとで決まった「『重度訪問介護』の『知的障害者』への拡大」について、自民党政権のもとで知的障害者の支援団体や親団体からのヒアリングが行われている。そして、支援団体と親団体がほとんど同じ内容のヒアリング資料を提出して、「行動援護」の延長上に「重度訪問介護」を位置づけるような制度案を提示している。
 長時間の利用にセーブをかけるための仕組みや高い「専門性」を求める従業者の要件もセットとなっており、ネット上だと「せっかくの『重度訪問介護』拡充なのに、これらの団体はその意義がわかっていない」という感じの反応が目立つように感じるのだけれど、これはわかっていないのではなくて、もともと自分たちと自民党厚生労働省で描いてきた仕組みの中でどのように「重度訪問介護」を消化していくか、という考えに立っているからであると思う。個人的には何の意外性もなかった。意外性はなかったが「ここまでやるのか…」とは思った。そして、今後ヒアリングが予定されている団体の並びを見ても、この動きを強く止めるのはなかなか難しいだろう。
 さて、思いのほか状況の説明に時間がかかってしまったが、自分は現況およびこの数年の障害者支援をめぐる政治を眺めて「なんだかなあ」と思っている。「なんだかなあ」では済まされない現場に身を投じている人たちがたくさんいるのであり、その意味では無責任と言われても仕方がない。それでも、多様な当事者の声(の一部)を冷めた目で見ながら「結局、金が出てこなきゃダメなんだよ」と言うのも、当事者にとっての必要性を主張しながら「金はあるところにはあるはずだ」と言うのも、お互い「足らない」と思う。
 当事者にとっての必要を受け止めることと、それを現実の政治の中で制度化へとつなげていくことの間にある距離。これをまずは「心理的に」埋める術を持たないことがますます相互の溝を深めているように思えてならない。その答えはいったい何だろうか。「対話」であろうか。正直に言って、お互いが話し合い「あなたはそんなふうに考えていたんですね。知りませんでした」と納得して協調する未来が今のところ想像できない。
 「利害のさまざまな団体がそれぞれに利益を追求するのが政治」と割り切るのは、それ自体がひとつの政治的態度であるのだろうが、およそ「多様性を認められる社会」像からは程遠い印象が漂う。発達と暮らしの「多様性」に備えなければいけない「障害者福祉」。これがうまくいけば、新たな政治のあり方を提起できるようにも思う。なんとかならないものか…。