泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

眠れずに、朝

 必要とされる金の額がまた増えた。これ以上の借入は検討したくないが、自己資金もそろそろ限界だ。
 経営的にも組織的にも詰んでいるが、組織の内部も外部もそんな状態を生暖かく見守るだけで、何ら打開策は見えない。事業や組織が消えてなくなるとは思っていない。たぶんすべてが無くなることはないだろう。この分野で一度生まれたものは簡単には無くならない。しかし、自分たちのモチベーションと多くの人からの期待を失えば、最低限のレベルの維持しかできないことはある。八方塞がった今の状況が維持されるということは、組織にもスタッフの人生にも何ら展望が見えなくなるということでもある。
 自分自身の人生はもうどうにもならない気がしているが、他のスタッフはまだ若い。結婚して間もないぐらいのスタッフが多い。明るい未来を用意してやりたいとずっと思っている。この数年は、子どもたちのことを考えるのと同じくらいか、あるいはそれ以上にスタッフの人生を案じてきたが、みんな目の前の仕事に没頭して、いっしょに組織の未来を考えることができなかった。外部の人間にもいろいろ相談したが、肝心の組織内部の動きに反映させられなかった。自分の焦りだけがずっと空回りした。
 みんな見たくないものを真剣に見ようとしなかった、のかもしれない。そんな組織を作ってしまったのは自分であり、自責の念にはかられ続けている。どうすればよいかわからなかったし、今もよくわからない。経営の才覚以前に、人として人と関わるスキルが低すぎた。こんな小さな組織だというのに、意思疎通ができない。皆から嫌われている気がするし、憎まれている気がする。そして、実りあるコミュニケーションからはどんどん遠のく。被害妄想とは思わない。この数年の間に何度も戦線離脱して、多大な迷惑をかけた。心身が弱く、社会性にも自信のない者がNPOを起業したいと言ってきたら、いくら志が高くても「やめとけ」と答える。少なくとも、人の人生をたくさん背負わなければいけないNPOは。
 facebook上で毎日タフに動き回っている関係者の様子を見ると、自分のエネルギーの無さを思い知らされる。だいたいNPOのトップなんて、いくら動いても動き足りないような人間ばかりなのだ。こちらは、4〜5キロ歩く支援が数日続いただけで、全身がだるい。休んでも回復しない。膝下O脚の悪化もしんどい。コンビニに寄って帰宅して、栄養の偏った食事。片付ける余裕もなく、ゴミ屋敷化していく部屋。精神的にも荒んでいく。
 設立以来「いま、このときを頑張れば展望が開ける」と思って、元気を振り絞ったときはたくさんあった。何時まででも働いた。でも、またすぐに次の課題がやってくるだけだった。心の中の何かが擦り減っていく感じがする。
 眠れないから、書いた。もう朝だ。誰も読みたくない内容だとはわかっているが、容赦してほしい。