泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

学生なのに、か、学生だから、か。

 学生たちが新人ボランティアの勧誘準備にはげむのを見て、思う。
 学生なのに、学生に訴えかける方法や言葉をもっていない。
 むしろ学生だから、なのだろうか。
 入学式の日に時間があったので、自分自身も久しぶりに大学へと足を運んでみたが、どの団体・サークルもやっていることはおよそ20年前と何も変わっていないように見えた。これは「前の年に先輩がやっていたこと」「自分が先輩にされたこと」をずっと踏襲しているからではなかろうかと思う。
 そして、他団体や他の社会的活動との差別化ができない。せっかく学外の障害児支援NPOのスタッフとして活動しているのに、活動内容の説明ができるだけで、それが社会に、あるいは活動者自身に何をもたらすのか、を具体的に伝えられない。別に障害児支援でなくても、ボランティアでなくてもよいような説明にしかならない。これは大学4年間を終えて卒業するスタッフも同じようなもので「仲間がいっぱいできた」みたいな感想を述べて卒業していったりする。決して悪い話ではないが、良い話とも思わない。
 既存のものを疑い、近視眼的な視点から離れていくことは、それ自体がとても「楽しい」ことであり、必要な社会的支援を生み出すための駆動力そのものだと思うのだが、何か別のものに突き動かされて活動を続けられているのだとしたら、それはたぶん見せかけの安定であり、確実にうちの法人の学生組織は下り坂を転がっているのだろう。
 しんどい。