泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 午前中もプールに行っていたという彼は、午後から10キロ歩いてもまだ動き足らない様子で、こちらの疲労などおかまいなしである。人間の感覚の多様性については少しぐらい勉強してきたつもりだが「疲れ」というのは、脳にとっていったい何であろうか。
 疲れきって事務所に戻ったところ、いろいろあって電話でたくさんお叱りを受ける。また不安と落胆とでくらくらする。多くの人にとっては大した問題とも思われない程度のことであるが、自分はこれで1週間ぐらい深刻に落ちこめる。たぶん明日の夜ぐらいまではものを食べる気さえなくなる。これもまた脳だ。そのように脳を省みることができるのも脳だ。しかし、省みられることで救われるとは限らない。自分は救われた試しがない。
 この脳はNPOの代表に向いていない。何ならば向いていたのだろう。世界の方が変われば、これでももっと生きられるのだろうか。
 多くの疑問はいつも疑問のままである。解けなくてもいいから、とにかく楽になりたい。