泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

たとえ85000回読まれたって

 前回のエントリは、少なからず「広まる」ことを期待して書いたものだった。まずはとにかくこの「ありえなさ」を多くの人と共有したい、と。
 結果として、ページビューにしてこの4日間ほどで85000ぐらい増えている。更新初日だけでも50000人ぐらいには読まれたはずだ。twitterで拡散されていくのは自分でも実感できた(記事書いて、3時間だけ寝て起きたら「twitterで言及された」報告メールが900通ほど来ていて、一気に目が覚めた)。facebook内での状況はよくわからないが、現時点で7000人ぐらいには言及してもらえたようである。これだけの人数の中には「発達障害」と直接に関わる人もそうでない人もいるだろう。ありがたいことである。関連したエントリを上げるブロガーもいて、これは「もっと広がる」と思った。すなわち「ブログ」やtwitterにはとどまらないだろうと。
 ところが、想像以上にマスメディアの動きは鈍かった。共同通信の出した「市長が火消しに躍起」という短い記事がほとんどそのまま転載されるばかり。「市長が『科学的でない』と言った」なんてことはtwitterを読んでいれば誰でも書ける。もう少しぐらい「発達障害」や「親学」に踏み込んで取材していく機関が出るかと期待したが、今のところ大手メディアは「もう終わった話」という雰囲気であり、いくつかのブログ記事への大量のブックマークも終息しつつある。ネット上では2日ぐらい嵐が吹いても、世間的にはずっとほとんど無風状態と考えるべきだろう。
今でも前回のエントリを読んだ人から「こんなひどい条例、知らなかった」という声が聞かれる。もうあれから4日も経つのに。その後の展開について自分が補足説明までしたほうがいいのだろうかという変な責任まで感じる羽目になった。
 大阪市はもちろん日本国中の「発達障害」に関わる人々からすれば、あまりの理解の無さに絶望するぐらいの内容だったのだ。だからこそ、これほど多くの声を上げたにも関わらずこの程度の報道しかなされないというのは、大型連休中だからなのか、いま「維新」批判をしても盛り上がらないからなのか、正直言って「発達障害」とか記者もよくわからないから触れたくないのか、いったいどれなのだろう。
 より直接的に施策に影響を及ぼすような「政治」「運動」には様々な関連団体等が関与するとして、いかにして正しい知識や情報を一般の人々に深めてもらうのか、という課題には依然として何の答えも見つけられていない(「それは地道な努力しかない」という答え以外で)。もう少し「ネットからはじまり、マスメディアに深められる啓蒙」が展開されるかと思ったのに。
 そんなわけで、あまり元気は出ないまま連休は明けていくのだった。ちなみに、連休もほとんど休みはなく、溜まった仕事も減らせなかった。誰か、元気を。

(5/8 1:00追記)
 ようやく大手メディアに乗り始めた。全面撤回らしいので、ひとまずは安心。
 「橋下にダメージを与えられていない(むしろ株を上げてしまっている)」「代表としての責任を問え」的な主張もあるようだけれど、「党首であるが市長でもあるという立場から口をはさまなかった」と言われてしまえばおしまいなのだし、前エントリのコメント欄でも書いた通り、この件はあくまで「維新の提出した条例案の『発達障害』や『子育て』観を正す(そして、その誤りを一般国民にも知ってもらう)」という目的にはじまり、その目的に終わればよいのだと思う。この先に「維新」が国政で勢いづく可能性だって現実にある。維新の関係者および国民に「一般的な子育てによって発達障害になることはない」「高橋史朗はヤバい」と知ってもらえたならば、ひとまずの成果と言えるのではないか(ものすごく初歩的で悲しくなる啓蒙ではあるが)。
 政治への批判はこうした個々の論点をきっかけに浴びせてこそ一般市民に訴えうる可能性が高まるのだろうが、裏を返せば、その背後にある「思想」に問題を見出して責めても成果は上がりにくいんじゃないだろうか。だから、謝りを全面的に認めて撤回したものをこれ以上ほじくろうとは思わない(勉強したいとも言っているようなので、しっかり勉強してもらおう)。教育や福祉に関してさらなる批判をするならば、もっと別の問題を明るみに出したほうがよい。関係者による発信に期待。