泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「道徳」の授業では活かされないけれど

 震災時に逃げるよりも住民への避難を呼びかけ続けて、結果として亡くなられた町職員の方のエピソードが「道徳」の教材となることについて、少し論議が生じているらしい。
震災で人を助けて犠牲となった人の話を道徳教材とすることに対する違和感
http://togetter.com/li/247772

避難呼び掛け犠牲 南三陸町職員の遠藤さんが教材に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120127-00000003-khks-l04

 実際のところ、この教材を使って、現場の教師はどんな授業をする(しなければならない)んだろうか。そもそも「道徳」の授業って何をすべきなの?というのは今さらながら疑問に思う。「道徳」の指導要領を確認してみたい。

小学校学習指導要領 第3章 道徳
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301b.htm
中学校学習指導要領 第3章 道徳
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301c/990301j.htm

 これらの「目標」を読む限り、どうやら「道徳の授業とは道徳性を養うためのもの」のようだ。トートロジーに陥らないために「内容」を読むと、小学校でも中学校でも4つの領域に分かれている。これらの内容が「道徳性」を構成しているということだろう。

1.主として自分自身に関すること。
2.主として他の人とのかかわりに関すること。
3.主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること。
4.主として集団や社会とのかかわりに関すること。

 さらなる下位項目は学年によって異なるが、全体にかなり抽象的である。ただ、ひとつ言えるのは、これらの内容は、他者や自然や社会と調和のとれた人間であれ、という強い規範性を持っている。あるべき社会を考えさせたり、倫理的な判断について悩んだりする機会を用意するものではない。

 それゆえに、

同教育局生徒指導課の浅見哲也指導主事は「遠藤さんの使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」としている。

 となってしまうのは必然であるとも言える。

 事例から大人たちが見出した規範を「教え込む」のではなく、事例を通じて子どもたち自身に考えさせて、「他者を思いやる心が大事である」にとどまらない議論や検討をさせる気が(少なくとも指導要領上)「道徳」には無いのである。

 この教材が活かされうる場所が、他にあるだろうか。次に「社会」の指導要領上の目標を確認してみる。
小学校指導要領 第2節 社会
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301i.htm
中学校学習指導要領 第2節 社会
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122602/003.htm

 小学校の目標は、

社会生活についての理解を図り,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を育て,国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。

 中学校の目標は、

広い視野に立って,社会に対する関心を高め,諸資料に基づいて多面的・多角的に考察し,我が国の国土と歴史に対する理解と愛情を深め,公民としての基礎的教養を培い,国際社会に生きる民主的,平和的な国家・社会の形成者として必要な公民的資質の基礎を養う。

 ここでは「公民的資質」がポイントになるだろうか。そこで中学の「公民的分野」の目標を確認すると、4点が示されている。

(1)個人の尊厳と人権の尊重の意義,特に自由・権利と責任・義務の関係を広い視野から正しく認識させ,民主主義に関する理解を深めるとともに,国民主権を担う公民として必要な基礎的教養を培う。
(2)民主政治の意義,国民の生活の向上と経済活動とのかかわり及び現代の社会生活などについて,個人と社会とのかかわりを中心に理解を深めるとともに,社会の諸問題に着目させ,自ら考えようとする態度を育てる。
(3)国際的な相互依存関係の深まりの中で,世界平和の実現と人類の福祉の増大のために,各国が相互に主権を尊重し,各国民が協力し合うことが重要であることを認識させるとともに,自国を愛し,その平和と繁栄を図ることが大切であることを自覚させる。
(4)現代の社会的事象に対する関心を高め,様々な資料を適切に収集,選択して多面的・多角的に考察し,事実を正確にとらえ,公正に判断するとともに適切に表現する能力と態度を育てる。

 太字にした部分など、道徳よりはこちらのほうがまだ先の「教材」を活かせそうには思える。ところがこの「内容」を箇条書きにすると(長くなるので、少しずつ省くけれど)、

2 内容
(1) 現代社会と私たちの生活
ア 現代日本の歩みと私たちの生活(略)
イ 個人と社会生活
・家族や地域社会などの機能
・現在の家族制度における個人の尊厳と両性の本質的平等
・社会生活における取決めの重要性やそれを守ることの意義及び個人の責任

(2) 国民生活と経済
ア 私たちの生活と経済(略)
イ 国民生活と福祉
・国や地方公共団体が果たしている経済的な役割
・社会資本の整備、公害の防止など環境の保全
社会保障の充実
・消費者の保護、租税の意義と役割及び国民の納税の義務
・限られた財源の配分

(3) 現代の民主政治とこれからの社会
ア 人間の尊重と日本国憲法の基本的原則(略)
イ 民主政治と政治参加
地方自治の基本的な考え方
地方公共団体の政治の仕組み
・住民の権利や義務
・住民としての自治意識の基礎を育てる
・議会制民主主義の意義、多数決の原理とその運用の在り方
・法に基づく公正な裁判の保障
・民主政治と世論形成、国民の政治参加、選挙の意義
ウ 世界平和と人類の福祉の増大(略)

 この内容のどこに関連づけて、教材を活かすことが見込めるだろうか。もし教員がこの指導要領を参照しながら授業を組み立てるならば、あまり期待できそうにない。多くが「日本人として」「住民として」「労働者として」「有権者として」「消費者として」のあり方を教えようとするものである。「『あなた』は、どう考えるのか、どう考えたいのか」と問われるチャンスは見当たらない。

 多くの人々がみんなで生き抜いていくときに考えねばならないことは「経済」「政治」「法」などと美しく切り分けられたテーマの中にあるわけではなくて、複数のテーマが錯綜した日常的で現実的な問題である。「各分野の有機的な連携を図る」とも書かれているが、各種社会システムどうしの関連について教える以上のことは想定されていないのではないか。

 どうやら「道徳」に引き続いて「社会」もあまり期待できない。しかし、最期の切り札がある。

 それは「総合的な学習の時間」である。

 学習指導要領を見ると、その目標は小学校も中学校も共通している。

第5章 総合的な学習の時間(小学校)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/sougou.htm

横断的・総合的な学習や探究的な学習を通して,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに,学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に主体的,創造的,協同的に取り組む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにする。

 ずばり、である。具体的な事例をもとにして倫理的な問題から社会システムまで広範に議論ができうる。ここで教材を活用できたらよいのに。生徒の学年に応じつつ「道徳」よりもずっと多くの(押しつけがましくも説教がましくもない)学びが得られるだろう。

 この総合学習の時間を「自分で考える力」「学ぶ動機づけ」などのために活かせないところが、先々の高等教育の惨状から見ても、日本の教育にとって注目すべき問題であると常々思っているのだけれど、どうだろうか。全くもったいない。