泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

保幼小の自律性と「障害児支援」の役割

 公立保育所長から1時間半のヒアリング。
 残念ながらあまり収穫なし。反省的じゃないとは言わないが、保育所としての課題はあまり提示されなかった。質問と答えがずれている部分も多く、もやもやとした思いばかり残して、終了。
 結局のところ、公立保育所は何か困れば保健師に連絡して対応してもらう形になっているようなので、子どもの発達についても地域システムについても問題意識が育たない。外部からの求めに応じて参観や懇談の機会は持つが、自ら求めることはない。それで十分に何とかなっている、という認識。これを「保育所」としてはするべきことをやっている、と捉えるのか。それとも、生活の大部分を子どもが過ごす場所としてはあまりに「保育」機能に特化しすぎている、と捉えるのか。いずれかによって、目指すべきシステム像はずいぶん変わる。
 保育所や幼稚園が機能を「保育」「教育」に特化していけば、コーディネーター的な役割を期待された保健師の業務はどんどん多忙になっていく。そして、この関与が学齢期になればぱったりと途絶える。保健師の代わりを小学校の先生がしてくれるわけではない。「障害児」とラベリングされることを望まなければ、障害福祉の資源にもアクセスされない。そして、孤立。
 あらゆる保護者にとっての「理想の相談相手」みたいな者を仮想しても、一元化できるイメージは湧かない。たぶん一元化しなければいけない理由もないし、自分でなんとかできる保護者も多い。問題となるのは、子どもや保護者のしんどさをどこがキャッチするにしても、自分たちだけで解決できそうにない、と思った時に縦割りを超えていけるのかどうか。これが「発達障害(「の疑い」含む)」の場合、いわゆる「福祉サービス」の利用につながるパターンが少ないから、「学校」という制度の中でより「閉じてしまいやすい」のではないかと思える。
 ある程度の年齢になった子ども(や家族)が苦労しているケースを聞くと、「もっと早い時期に何とかできていれば」と瞬間的には思える。しかし「では、何ができただろう」と思い直すと、学校という組織の自律性を前提にする限り、自分たちの立場からは何もできなかったのではないか、という気もしてくる。学校は「私たちではもうどうしていいかわからない」となったときにはじめて外部との連携がはじまっているわけだ。もし学校が「専門性」に自信やプライドをもつようになると、ますますこの傾向は強まる。
 どうも考えがまとまらない。就学後に苦しんでいる親子からの話がまだ十分に聞けていないからだ。論点整理にはもう少し時間がかかりそう。