泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ユニクロ「大学1年採用」が本当に否定しているもの

 世間の多くが自分とは違う解釈をしているようなので、それについて書いてみる。例のユニクロの採用について。
大学教育を否定する、ユニクロ「大学1年4月採用」の衝撃池田信夫
http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2011/12/14.php
そのブックマークコメント
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2011/12/14.php
 ユニクロの考えは、既存の報道によれば、次のようなものである。

 柳井氏は「一括採用だと、同じような人ばかりになる。1年生の時からどういう仕事をするか考えて、早く決められる方がいい」と話す。
 具体的には、1年生の時点で採用を決め、在学中は店舗でアルバイトをしてもらい、卒業と同時に店長にするといったコースが想定されるという。

 もちろん柳井氏が正確にはどんな表現をしたのかどうかはわからないけれども、ひとまずはこのような主旨のことを話したと信じて、考えてみたい。
 「大学の教育が仕事にとって役立たないから、有名大学に入ったという事実だけあれば、採用には十分」なのであれば、採用を決めてから卒業まで3年から4年もバイトをさせながら待とうとする企業は無いだろう。池田氏の言うように、早々と中退させるほうが学生にとっても企業にとってもメリットをもつ。しかし、優秀だからと大学を辞めさせるようなことはほのめかされていない(そんなことを思っていても言えないという可能性はあるが、「在学中」とか「卒業」とかいう表現をそのまま受け取れば、ちゃんと大学を卒業させる気だろう)。
 では、柳井氏の言う「1年生の時からどういう仕事をするか考えて」とは、単に「少しでも早くから働かせて」「早くから仕事を覚えさせて」を意味しているのだろうか。どうもそのようには思えない。
 池田氏は、文科系大学による教育の意義をバカにしながら「コミュニケーション能力やバイタリティがあればいい」「あとは社内で人材育成できる」と言う。しかし、そのような人材をこれまでも新卒一括採用の中で数多く雇ってきたのであるならば、これまでより3年や4年早く内定を出すことは「仕事で必要とされる資質をもち、社内で育成可能である」という意味で「入れ替え可能」な人材の雇用を単に前倒したに過ぎない。それでは満足できないから通年で学年も問わない採用方式を開始した、ということであるはずだ。
 だとすれば、「1年生で採用内定出して、バイトしながら、大学での勉強も継続させる」ことの意義はどこに見出せるか。
 それは「学ぶ動機づけ」だと思う。
 「大学教育が仕事に役立たない」と言うが、圧倒的に大多数の学生は「仕事をするためにどのような専門知識が役立ちうるか」「仕事をするために大学時代をどのように過ごすべきか」の具体的ビジョンを持たずに大学に通い続ける。もちろんバイタリティのある学生は、サークルでもアルバイトでもボランティアでもインターンシップでも、懸命に取り組むのではあるだろう。しかし、それは流動的で不確定な未来に向かって、「自分は将来に何をやりたいのか」を探る「プロセス」の中である。様々な経験を積みながら、自分の適性を探ったり、仕事の実際についての情報を収集したりしていくわけだ。
 このプロセスの中では「大学教育」の意味づけが難しく、いま講義やゼミで勉強していることがどう役に立つのか(立たないのか)についての判断すら学生自身には難しい。学問分野や学生の生活環境によっては「役に立つよ」とか「無駄だよ」とか言ってくれる大人が周囲にいるかもしれないが、それとて自分自身で体感できるわけではない。もちろん「どうやったら役にたてられるか」なんて、考えられるはずもない。
 以前にデンマークの教育システムについて本の紹介記事を書いたことがあるけれど、大学に入るまでに「どんな仕事をしたいのか」を本気で考える機会を得られない日本的教育システムの中で、少しでも早い時期に「この仕事をする」と具体的に決定して、大学生という少しばかり自由の利く身分に支えられつつ、数年がかりで仕事に役立つような体験や勉強を積み重ねていける、というユニクロ案はなかなか魅力的なものではないかと思う。入学直後にこのようなやり方で動機づけを得なければならないというのは、もちろんいびつである。それでも、学生の在学中の動機づけに対して企業の側からできることを考えれば、行き着く先のひとつではないか。
 一般企業と比較できるものでないのは承知しつつ、自分たちのような福祉関係の仕事を一例にあげてもよい。福祉系学生は大ざっぱに単純化してしまえば、入学してまずは一般教養→ちょっとずつ専門科目が増える→3回生で実習に行ってはじめて現場と長時間触れる(1か月ぐらい)→就職活動(実習に行っても福祉職を選ぶとは限らない)という流れで4年の大学生活を過ごすはずである。「社会福祉学部」は「経済学部」のような文科系学部と比べれば環境もカリキュラムも学ぶ動機づけを得やすいものであるはずだが「『仕事』としての福祉」を体験から実感しはじめるのは3回生の夏ぐらいからだろう。
 仕事の深みを知らない中では、座学であれ実習であれ「これを知らなければ」「これをできるようにならなければ」と必死になることはない。大学で学んだことについて「現場で役に立つ話なのだろうか?」と思いながら就職して、しばらくは仕事に慣れるのに精一杯の日々を過ごし、知識や技術を役立てようと思うよりも前にほとんど忘れる。仕事に慣れて、現場の手法に問題意識を感じられるぐらいになったときにはもう学ぶ機会からすっかり離れてしまっているわけだ。それならば少しでも早い段階で仕事をする場を固め、大学と(将来を約束された)職場のあいだ(もちろん両者以外の第三の場があってもいい)を往還する学生を増やしたほうが、ずっと皆にとって合理的だ(大学の先生にかかるプレッシャーはひとしおだろうが)。
 1回生で内定をもらい、将来に「店長」になったり新たな事業を起こしたりする見通しを持ちながらバイトをすれば、残りの大学生活は明確なスタート地点を持った助走期間になる。大学の教育内容の中に価値あるものを発見しようとしてもいいし、社内研修では知れないことを学ぶ意識をもってもいい。もし大学で学ぶ内容が役立たないと思えたなら、「ユニクロでのバイト」以外に何が有意義なのかを考えながら、違う社会に触れてもいい。いずれにしても、他の学生とは違う意欲を持つのが必然だろう。
 そう考えれば、池田氏の言うように「大学教育」がユニクロに否定されているのではなく、その後の将来を見据えて大学で何を学びたいを定めることではなく、子どもが「(一流)大学」に入ることをゴールに設定させてしまう「大学までの教育」のほうが否定されているのだろうと思う。大学の価値をシグナリングの機能におとしめているのは、大学自身ではなく、大学で学ぶための動機づけをもたない学生をどんどん育てて輩出してくる中学や高校であり、そのことに強い疑念をもたない社会である。
 ただ、もし早々と内定もらった学生がヒャッホーとうかれて、残りの大学生活を堕落して過ごしたらどうするのかという問題はある。そのへんはどう考えているのか、ユニクロに聞いてみたいところである。話題になっているわりには、ユニクロの意図について正確な情報がないのは少し不思議だ。