泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

その引力と傷つきやすさ

 彼にとっていっしょに遊びやすい子どもがいる。その子と遊びたいが、ドッジビーに加わっていってしまった。その子と遊ぶ以外にこの公園で過ごす術を見つけられなので、仕方なしにドッジビーに加わって自軍のエリア内を走り回る。どうやら飛んでくるドッジビーを避けなければいけないことはわかっている。落ちているドッジビーを拾い上げて投げてよいこともわかっている。しかし、「当てられたら外野に出る」の意味がわかっていないのに加え、子どもどうしゆえに当たり判定のルールもはっきりしない。他児に「出ろ」と言われたらしく、激しく怒って遊びから離れていく。しかし、あっさりと10秒ほどで立ち直る。「誰か(みんな)といっしょに遊ぶこと」のもつ強い引力と傷つきやすさを実感できるガイドヘルプ。
 学校が短縮授業になったため、開始時刻をいつもより1時間以上も早めた。遊んだ時間はいつもの倍。そのぶん終了時刻を30分早めたところ「今日は短い」「今日はまだ全然遊んでいない」らしい。時間って何だろう。
 彼は明日が終業式。しかし、支援学校は昨日すでに終業式。わけのわからん教育改革は必要ないので、支援学校と市町村立の学校で授業日程が違う(支援学校のほうが必ず数日早く長期休暇に入る)のはどうにかならないものか。というか、これは全国的な傾向なのだろうか。