泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

機能の「統合」って、何だ

 書店で偶然見つけた。画期的な新刊かと思ったら、2009年初版。

子どもの放課後を考える―諸外国との比較でみる学童保育問題

子どもの放課後を考える―諸外国との比較でみる学童保育問題

 自分は国際比較研究の方法論について、ほとんど勉強したことがない。ただ、多くの研究者で担当する国を決めて調査・研究にあたり、その結果を日本のために活かそうとするならば、まず国内の状況と課題について全員が十分に共有しなければならないのだろうし、用いられる概念は統一が必要だろうし、調べるべき項目にばらつきが見られてもいけないのだろう。たぶん。
 「放課後」とは「学童保育」とは何のことか。いったい何が課題なのか。国際的にはもちろん、国内的にも確たる答えが出されていないままに、「みんなで本を書こう」というのは大変なことだと思い知らされる。そんな本。著者の中に「放課後」を専門にした者はいないそうである。「学童保育」とか「放課後」といった先行研究すら希少な領域で、それは、つらい。いや、希少だからこそ、のびのび書いたとしても意義があると考えるべきか。
 各国で行われている「放課後」の子どもたちへの対策が、それぞれの教育・経済・文化などから強く影響を受けていることはわかった。官庁「縦割り」の対策から抜け出していくことが国際的な流れであるのもわかった。それは収穫。ただ「教育福祉」を新たな造語のように使って提言することには、賛成できない。「教育」の意味も「福祉」の意味も不明瞭なままで「教育と福祉の両方の機能を統合」と言われても、現状では明確な機能と専門性をアピールできる「教育」が「福祉」を取り込む形にしかならないだろう。そして「教育」はその時代の国策を映し、放課後まで子どもたちをコントロール下に置くかもしれない。
 「保育」や「子育て支援」がいかなる意味で「福祉」であるのかについての議論はなされないままに、「『厚生労働省』だから『福祉』」というイメージだけは強力に根付いている。そこから話をしないと、「教育」との関係さえはっきりさせられない。