泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

放課後に求められるもの

子どもたちの放課後を救え!

子どもたちの放課後を救え!

 放課後の子どもたちの現状についてもっと書かれているのかと思ったらそれほどでもなくて、ひとつのNPOが何もないところから少しずつ実績をあげていく過程を描く部分の多い本だった。それはそれで共感できるところもある。一流大学出て、一流企業出て、人脈が豊かにあっても、NPOで食っていくのは大変なのだ。自分みたいにコミュ障で凡庸な者がよくやってきたなあ、と顧みたりもする。
 紹介されるアメリカ等の放課後支援の事例は、貧困や格差の問題獲得への対応としてあるわけで、この国の中で小学生に多様な体験プログラムを組んでも、その成果の上がり方を短期的に実証するのは簡単じゃないだろう。「消極的だったうちの子が変わった」とか「毎日楽しそうになった」とかいう変化では、この国の抱えた大きな課題解決とはまだ少しずれている。中長期的に見て、何をもって成果が上がったと評価するのがよいのか。
 動機づけがなくても生きられる人はたくさんいる。やりたいことが見つからなくても、そこそこ幸せに生きられる人もいる。大人に「どんな子ども時代を過ごしたかったか」を聞いても「放課後に多様な経験を積みたかった」なんて話はきっと出てこない。
 公教育が詰め込みとゆとりの間を迷走して目標を見失う中で、教育NPOが担うのは、公教育を導くことだろうか、補完することだろうか、代償することだろうか。あるいは互いに反目してしまうのだろうか。